2006-01-01から1年間の記事一覧

 ◇2月例会のご案内◇

日 時 2月4日(日)13時30分〜 会 場 県民会館 304号室 演 題 邪馬台国の地理のはなし 参加費 一般 五百円 会員 三百円 講 師 小合 彬生 会員 内 容 邪馬台国の大きさ、海岸線の長さ、クニグニの構成、首都の位置など、地理による表現を通じて、この国…

(97)死んでも死に切れない

阪本信子 会員 人が死ぬときの最後の言葉に嘘は無いと言われますが、史実を調べてみると、後世の人に都合の良いように伝えられているケースが多いのです。 清盛の遺言は宗盛によって後白河法皇に伝えられ、九条兼実の日記「玉葉」に書かれていて、信慿性は高…

(96)極楽往生対策を教えます

阪本信子 会員 平家作者は「祇園精舎」に始まり、奢れる者、猛き者、悪行の人として清盛を語り、その結果の悲惨な死に様を書いている「つもり」です。 しかし、現代人がこの章を読んだとき、作者の意図に反して偉大な人、清盛像を強烈に印象付けられます。 …

(95)「平家物語」は死に方見本市

阪本信子 会員 平家物語は死の文学ともいわれているように、いろいろな死に方が書かれています。 大きく二つに分けて貴族的な死と武士的な死です。 これは身分としての貴族と武士という意味ではなく、念仏のある死と念仏のない死、極楽往生を願う死と来世を…

(94)軍兵募集の一番の特効薬は勝つこと

阪本信子 会員 横田河原の戦いは群を抜く大豪族城氏を殆ど壊滅状態にするという大勝で、今まで日和見をしていた越中、能登、加賀、越前の武士たちは次々と義仲旗下に加わり、北陸道は義仲支配下におかれ、京への年貢輸送はここに完全にストップしました。 腹…

(93)大軍必ずしも利あらず

阪本信子 会員 平家浪漫(94)軍兵募集の一番の特効薬は勝つこと 横田河原の戦いは群を抜く大豪族城氏を殆ど壊滅状態にするという大勝で、今まで日和見をしていた越中、能登、加賀、越前の武士たちは次々と義仲旗下に加わり、北陸道は義仲支配下におかれ、京…

(93)大軍必ずしも利あらず

阪本信子 会員 義仲は依田城に籠っていると信じて、城軍はひたすら依田城へと向います。 戦いの当日は6月13日(太陽暦では7月26日)、カラカラに乾いた炎天下の長野への狭い道を2万騎プラス荷駄、人足が疲れ果てた姿でぞろぞろと進んで行く姿は、もう…

(92)庶民の追い風は義仲に

阪本信子 会員 城氏の総帥助永が出陣した途端に脳溢血で急死したのを「平家物語」の作者は、南都を焼いた平家に味方した報いだと書いています。 そう言われても仕方のないほど、横田河原の戦いの敗北は城軍を壊滅状態に追い落としました。 弟助職が家督を継…

(91)中小企業の税金対策は義仲への与力

阪本信子 会員 北陸は多くの群小武士団が各々独立的に対峙し、また相互の連携によって共同戦線をはり、他勢力の侵攻を防いでいました。 彼らは古来よりの在地武士でなく、平安中期以後赴任してきた官人が定着したケースが多かったようです。 同じ北陸でも越…

(90)スター誕生、義仲

阪本信子 会員 義仲の父義賢は兄義朝の息子義平に殺され、その時2歳だった義仲も殺される所を畠山重能に助けられたという血族相克の悲運を味わっています。つまり義仲と頼朝は従兄弟の関係にあり、これまた相争うというのですから、源氏という氏族の体質の厳…

◇12月例会の案内◇

日 時 12月3日(日)13時30分〜15:00頃まで 会 場 県民会館 1202号室 JR・阪神「元町駅」の山側、徒歩7分。地下鉄「県庁前駅」1-2出口 演 題 北満チチハルでの終戦 参加費 一般 五百円 会員 三百円 講 師 乳原 克巳 会員 主催 兵庫歴史研究会 問合せ先…

(89)お人よし義仲は都人のカモ

阪本信子 会員 私が義仲を高く評価するのは、大権門平家一族を京都から追いだしたという歴史的役割もさることながら、彼の人となりに魅かれたからです。 平家物語「猫間」では京都人から見た彼の無作法、野卑、物知らずを笑い、乗りなれない牛車に困っている…

(88)判官贔屓が生んだ頼朝批判

阪本信子 会員 非情であることは武士の武士たる所以で、宿命というべきかもしれませんが「過ぎたるは及ばざるが如し」で、頼朝は弟たちを殺し、公暁は叔父実朝を討ち、源氏は我と我が手で源氏政権を葬っています。血で興り血で亡んだのが源氏でした。 一方、…

(87)非情は武士の宿命

阪本信子 会員 大それた望みも持たず、安穏に生きればそれでよいと思えば争いに巻き込まれることはないでしょうが、そう望んでも許されない宿命を背負った者もいます。武士は自分が生きるためには相手を倒さねばならぬという運命を生まれながらに与えられ、…

(86)ちっとも哀れじゃない美女小督

阪本信子 会員 「平家物語」中、屈指の名文の一つといわれるのが、「小督」で、作者は「源氏物語」の桐壷更衣と桐壺帝の悲恋再現をイメージしています。 はっきり言ってこれは清盛の悪行捏造が目的で、作者が力を入れて悲劇の美女としたい小督の実像は、かな…

(85)早死で高まった高倉名君説

阪本信子 会員 平家作者によって、こんな立派な天皇はまたとないとの最高の讃辞を呈されている高倉上皇が亡くなられたのは、南都炎上から半月余り後の治承五年1月14日のことです。 死亡原因は結核で当時は不治の病とされ、いかに手当てを尽くそうと抗生物質…

(2006/11/26) 11月探訪会の案内

■「安土城と周辺の歴史を訪ねて」 主催 兵庫歴史研究会 探訪地 安土城とその周辺 日 時 11月26日(日)雨天決行 集合場所 JR三ノ宮駅東三〇〇m 集合時間 午前8時15分 出発8時30分 三ノ宮帰着予定 午後6時30分 参加費 6,500円(昼食代・入館料含)…

(84)南都炎上は既定方針だった

阪本信子 会員 平家の精鋭を相手に僧兵が勝てるはずもなく、あっという間に追討軍は南都に侵入した。 平家物語によれば夜戦になり、松明代わりに民家に火を放ったところ、燃え広がり大火になり寺々を焼いたという偶発的な結果で、重衡としては思いもよらない…

(83)何とする南都

阪本信子 会員 清盛が都を福原へ移した理由の一つは寺社勢力からの分離でしたが、半年後、京都へ都を戻したのも大いに寺社対策が関わっています。 福原造都に一所懸命になっている間に、近江を始め畿内に反平家勢力が集合、日々膨れ上がっていたのです。 今…

(82)武力をもつ寺社勢力は宗教?

阪本信子 会員 話し合いによる解決が出来ればこれに越したことはありません。但し、聞く耳持たぬ相手にいくら話し合いでの解決を呼びかけてもそれは無駄というものです。 朝廷からは興福寺蜂起の混乱をおさめようと、摂政基通が使者を派遣しても相手にされず…

(81)後白河法皇復活は夢幻か

阪本信子 会員 高倉上皇の病状が悪化すると、代わって後白河法皇の復活が貴族の間に噂されるようになりました。それには美濃、讃岐両国を法皇分国として差し上げるというおまけまでついています。 前関白藤原基房が流罪先から戻ってくるとその信憑姓は高まり…

(80)紅旗征戎吾が事に非ず

阪本信子 会員 保元平治の乱以来、警察権、軍事権は平家の専売特許となり、平家自身もそれを自認していました。 しかし、平家の徴兵能力は明らかに減少、低下し、清盛はここに至って今まで対象から外していた貴族、受領、荘園領主、寺社に対し、内裏警護の名…

(79)雌伏近江源氏の逆襲

阪本信子 会員 半年に及ぶ福原京は幕を下しましたが、事態は半年前より悪化していました。 比叡山からの還都要求を聞き入れたことで、山門は一件落着したかと思ったのですが、この頃山門では大衆が平家サイドの天台座主明雲から離れ、近江の反平家勢力と結び…

◇10月 特別イベントの案内◇

神戸に義経の史跡を残すための集い (鵯越の銘木「義経馬つなぎ松」を史跡に) 開催日: 平成18年10月1日(日) 場所: 兵庫県民会館 県民ホール (JR・阪神「元町駅」の山側、徒歩7分。地下鉄「県庁前駅」1-2出口) 時間: 13:30(13:00開場)〜15:30 プロ…

◇9月例会の案内◇

日時 平成18年9月3日(日)13:30より15:00頃まで 場所 兵庫県民会館 304号室 JR・阪神「元町駅」の山側、徒歩7分。地下鉄「県庁前駅」1-2出口 演 題 「私のお宝紹介」 参加費 会員 三百円 一般 五百円 講 師 前田章賀 会員 主催 兵庫歴史研究会 問合せ先 …

(78)目の届かない所で育つ反対勢力

阪本信子 会員 半年前福原へ移った時、清盛は以仁王に与力した寺院に対して積極策を打ち出しましたが、それは不徹底、中途半端で古い伝統とか、宗教的権威は温存されたままでした。 やがて、遷都には皇族からも平家一門からも反対の声が上がり、怨嗟の声は平…

(77)戦略家清盛の決断、都帰り

阪本信子 会員 源氏は戦わずして平家に勝ちました。 敗走軍は無統制で、陣形を整えることも出来ず、てんでに都をさして敗走した。平家の威信は地に落ち、逃げ帰った兵士の口から、その負けっぷりは広まり、平家を軽んじるようになり、今までは平家の命令に従…

(76)立つ鳥に後を濁して平家逃げ

阪本信子 会員 撤退命令が出て、心はもう京都へ飛び、逃げ腰の平家勢です。 影にも怯える彼らを襲ったのは敵の奇襲ではなく、水鳥の羽音でした。 源氏方の武田信光は抜け駆けの功をねらい、平家の後方に回り込もうとしたところ、十月下旬のことで、群れてい…

◇7月例会の報告◇

移住坂 ―世界への坂道― 講師 芦屋大学コミュニケーション科教授 楠本利夫 先生 http://d.hatena.ne.jp/hyogorekiken/20060704 移民というとドミニカ移民訴訟に見られるように、暗い、悲惨なイメージがあります。中には成功者もいましたが、それはほんの僅か…

(75)撤退は前進よりも難しい

阪本信子 会員 斉藤実盛は後づめでなく先手の中にいながら、平家の敗戦確実を悟り戦線離脱して京都へ引き返しているように、平家軍に加わった兵士たちは、恐らく次第に負け戦確実の気持になってゆき、グループで逃亡する者も日を追って増えてゆきました。し…