(87)非情は武士の宿命

                              阪本信子 会員

 大それた望みも持たず、安穏に生きればそれでよいと思えば争いに巻き込まれることはないでしょうが、そう望んでも許されない宿命を背負った者もいます。武士は自分が生きるためには相手を倒さねばならぬという運命を生まれながらに与えられ、特に上層部になるに従って自分自身の意思のみで行動することは許されません。その人が存在するだけで脅威を与えるとなれば、好むと好まざるに関わらず、降りかかる火の粉は払わねばならないでしょう。
 義経といい義仲といい、頼朝が恐れるほどの覇者志向は持たなかったと思いますが、覇権を争う時の最強のライバルは同じ条件を備えている兄弟、身内なのです。
頼朝の身内相克はよく知られていますが、源氏には「血ぬられたる源氏」というイメージがあり、源氏は非情に徹し武家政権を手にしたと言われます。それは否定できるものではありません。
 しかし、武家の宿命という立場を考えれば同じことが平家にも言えることで、身内争いに端を発する将門の乱にも、どれだけ同族の血が流れたことでしょう。
 また、保元の乱では叔父甥が敵味方になって戦い、勝者清盛は叔父忠正たちを斬っていますが、この時同じく勝者となった源義朝は父をはじめ兄弟たちを斬るという清盛以上の犠牲を払っています。
 何れも彼らの意思ではなく、雇い主の貴族の命令によるものであり、非情であらねばならぬのは武士の宿命と許せますが、後の頼朝の同族、身内に対する仕打ちを許容するのは憚りありと私は思っております。 (つづく)