(186) 若者は何故死に急ぐ

                         阪本信子 会員
 敦盛の最期はあまりにも有名で、歌舞伎、能、文楽などのモチーフとして、よく使われています。
 関東武者熊谷次郎直実は見るからに身分の高そうな一人の武者をみつけ、「かえさせたまえ」と招いた。
 武者は既に100mも海に乗り入れていたのに、引き返して直実の挑戦に応じたのです。直実は取り押さえ、頸をかこうと兜を押しのけると、わが子と同じ年ごろの美少年で、ためらったが味方が近づいてくるので、仕方なく涙ながらに頸をかき切った。これが直実出家の動機である。
 以上は皆さん周知のストーリーですが、逃げようと思えば逃げられたにもかかわらず、引き返した若武者の潔さは、読む人、聴く人に感動を与えました。
 「平家物語」の異本の中で、古態の延慶本では、知盛に続いて敦盛が海へ馬を乗り入れており、直実の声は知盛にも聞こえていた筈です。
 しかし、引き返したのは敦盛一人で、知盛は聞こえたのか、聞こえなかったのか、沖の船めざして馬を泳がせている。経験ある武士なら、こんな時に呼ばれようと卑怯といわれようと、のこのこ引き返す馬鹿はいません。
 敦盛は平家全盛時代に生を受け、戦いを知らない世代です。今、味方の敗北は明らかで、阿鼻叫喚の中を家来もいなくなり、一人で落ちゆく心細さに耐え得るしぶとさはありません。
 敦盛はまだ海に乗り入れていなかったと私は推察するのですが、現在でも年老いた人より若い人の方が、案外あっさりと生きることを諦めるようです。
 敦盛は平家の行く先、自分の将来への夢を描くことができなくなっていたのです。夢を失った彼に生はもう何の魅力もなくなったのでしょう。    (つづく)