2005-03-01から1ヶ月間の記事一覧

境界争いの歴史的考察(2)

中西輝夫 会員 池田家 その2 天正十年六月二日(一五九二)本能寺の変で主人信長が倒れ、信輝は信長の菩提を弔うために剃髪し勝入と名乗ります。尼崎の池田親子は丹羽長秀とともに秀吉に味方し、六月十三日山崎の合戦には右翼として明智光秀と戦い、秀吉の…

(8)平家はお金持ち

阪本信子 会員 http://d.hatena.ne.jp/hyogorekiken/20050321 からの続き 吉川英治さんの書かれた「新平家物語」をはじめ多くの作家が平家の物語を書かれ、今年はNHK大河ドラマ「義経」によってフィーバーになっています。 それについて史実云々をあげつ…

(2005/03/27)

「中央突破説を歩く」 日時 平成17年3月27(日)13:00集合 集合場所 神戸電鉄「鵯越駅」改札 講師 梅村伸雄(兵庫歴史研究会会長) 主催 兵庫歴史研究会 道順 鵯越駅→逆落しの崖→会下山→平業盛塚→願成寺→湊川公園16:00解散 行程 4Km(運動靴着用)雨天中止 …

(2005/04/03)古文書教室ご案内

日 時 4月3日(日)午前10時30分〜 会 場 県民会館 1203号室 講 師 北村六合光会員 会 費 会員 五百円 一般 七百円 テキスト『諸家仕置伺留書』 現代では罪にはならない行為も江戸時代は重罪です。現代に生まれてよかった

(その一)

八瀬久 会員 兵庫県の西部で広がる播磨平野の西南隅には、赤穂郡・赤穂市・相生市の二市一郡があり、これらの地域には秦河勝にまつわる多くの伝説が残されている。そしてこの地方には現在、秦、畑、八田。波田、羽田等々を名乗る方々が,「我こそは秦氏の系…

(7)平家の幸運

阪本信子 会員 http://d.hatena.ne.jp/hyogorekiken/20050314 からの続き 平家物語は平家滅亡のノンフィクションであり、ドキュメントドラマの台本です。 しかし、平家滅亡の裏には勝利者源氏の台頭があり、繁栄があるはずなのに、それについては書いていま…

(2005/05/14)尼崎の歴史散歩

尼崎は昔から京の玄関口であり、維新に至るまで海陸の要衝として譜代大名が護っていた 主催 兵庫歴史研究会 開催日 平成17年5月14日(土) 集合場所 阪神尼崎駅北側噴水前 集合時間 13:00集合(小雨決行) 講師 尼崎市立地域研究史料館々員 参加費 500円(…

(2005/04/16) 『燈炉之沙汰』

◇『平家物語』講座案内◇ 日 時 4月16日(土)午後1時30分〜 会 場 県民会館 1202号室 講 師 阪本信子会員 会 費 会員 三百円 一般 五百円 テキスト『燈炉之沙汰』

(十一)遮光器土偶―①  

十一.{しゃこうき}遮光器{どぐう}土偶―① 坂田 護 日本列島から出土した古代の遺物の中にあって、青森県の津軽平野の亀ケ岡で発掘されたこの土偶ほど、神秘的で不思議な発掘品はない。 縄文晩期のものだと言われているから、紀元前三〜四〇〇年頃の産物とい…

(6) 建春門院 滋子 (3/3)

阪本信子 会員 http://d.hatena.ne.jp/hyogorekiken/20050306 からの続き 後白河上皇を手のうちに握った彼女のど根性を示すエピソードが定家の姉の書いた「健寿御前日記」(「たまきはる」)にあります。 息子の高倉天皇が即位して、最初の朝覲の行幸で彼女…

境界争いの歴史的考察(1)

中西輝夫 会員 大阪の陣のあと元和三年(一六一七)摂津三十八万石のうち、尼崎藩五万石で譜代の戸田氏鉄が大津膳所三万石より入城、大阪城西の備えとして新城を築きこの地方も新しい時代を迎えます。戸田氏にいたるまでの池田家、建部家、下間家の閨閥と西…

(五)

http://d.hatena.ne.jp/hyogorekiken/20050117(からの続き) ロマンチストにしてくれる 『赤松系図』との出会いについて 八瀬 久 会員 昨年の七月だったか、私は三年ぶりに赤松氏に関する三冊目の作品『赤松円心』=虚像と実像=を書き、書店や知己・縁故の…

(2005/04/03)邪馬台国へ陸行水行

講師 小合彬生 兵庫歴研会員 邪馬台国や、ひみこの宮はどこ。そろそろ決まってもいい頃と思いませんか。 手がかりはただ一つ、『魏志倭人伝』です。その記述を、さらに見直し、見落しや、つい軽視していた点がないか、調べました。 それが、ありました。つぎ…

(5) 建春門院 滋子 (2/3)

阪本信子 会員 http://d.hatena.ne.jp/hyogorekiken/20050228 からの続き 彼女がいなかったら平家の繁栄はなかっただろうと言われるのが、建春門院滋子です。 後白河法皇の周りには、御多聞にもれず美女たちがひしめいて寵を競っていました。 その中でどこへ…

(五)

http://d.hatena.ne.jp/hyogorekiken/20050125 からの続き 義経の実像 一の谷合戦における鵯越の逆落し 梅村伸雄 会員 一 の 谷 世間では、須磨に一の谷と名付けられた地名があるため、須磨の地を「一の谷合戦」の主戦場と考えているが、八百年前に須磨に一…