(2005/04/03)邪馬台国へ陸行水行

                 講師 小合彬生 兵庫歴研会員
 邪馬台国や、ひみこの宮はどこ。そろそろ決まってもいい頃と思いませんか。
 手がかりはただ一つ、『魏志倭人伝』です。その記述を、さらに見直し、見落しや、つい軽視していた点がないか、調べました。
それが、ありました。つぎの2点です。

  1. 帯方郡使節団は、伊都(いと)の国に「到り」、「常に駐まり」ます。伊都には、「王」や「一大率」もいます。これは、「伊都が、郡使達の旅の目的地であった」と解釈すべきです。
  2. つぎは、「女王国以北の国については、戸数と道里を略載した」に注目。道里は里数であると理解すれば、女王国は条件にあう6ケ国の南端、不弥国となります。女王は、帯方郡から万七百余里。水行陸行の合計が四十日のところに、小さく都していたのでした。伊都の「日帰り圏内」です。

 結論。郡使達は伊都に到着、南へ向け船出する必要はもう「なし」です。
 郡から伊都まで、水行は5回、延べ200キロメートル。陸行は合計500キロメートル。これを、水行が10日と、陸行が1月で旅したはずです。
 今回は、その旅の検証をしてみます。