(185) 撤退上手は戦い上手?

                         阪本信子 会員
 一の谷の合戦で多くの平家公達が死にましたが、「平家物語」の作者は彼らの最期を飾り、鎮魂の言葉としています。
 名を残すと一口に言っても、それに現世利益が付随するのは勝ち組の場合で、負ければいかに立派に死のうと、名を残そうと実質的には何の利益もありません。
 この視点にたてば、いかに称賛されようと、敗者の名は空しい名、虚名と言えるでしょう。
 本当にそんな死に方をしたかどうかは問題外で、作者は彼らに代わって最後の演出、パフォーマンスを見せているのです。
 戦いにおける死は自然死でなく、他殺もしくは自殺という異常死なのは勿論ですが「平家物語」では、一の谷合戦の真最中に戦って死んだのより、逃げてゆく途中の死に多くのページを費やしており、逃げそこねたり、味方の船に乗れなくて死んだケースの記述が殆どです。
 この時、沖に何艘の大船が待機しており、何艘の小舟がピストン輸送していたか分かりませんが、身分の低い者の中には折角生き延びながら、船に載せてもらえず、むざむざ命を失った者が大勢いたのは確かです。
 なまじ大船が沖に見えるということで、背水の陣を布いた戦いの認識が薄く、また陸路を敵中突破して逃げようという選択も考えなかったのでしょう。
 何よりも、平家は負けて逃げる場合を想定していなかったのかもしれません。義仲と頼朝が争っている間に、平家は勢力を回復していたのです。
 しかし、戦いというものは直接対決の時よりも、敗れて落ちてゆく途中の方が危険なことは、古今東西言えることです。
 撤退上手は究極の戦い上手かもしれません。(つづく)