2006-04-01から1ヶ月間の記事一覧

(63)やっぱり、ついていた頼朝

阪本信子 会員 石橋山の合戦で惨敗し、頼朝は命からがら安房へ逃れました。 これより数日頼朝の行方は杳として知れず、挙兵は失敗したかのように見えた。しかし、ものは考えようで、彼にとって三浦の援軍を阻んだ暴風雨が、逃げるのを助けたともいえます。 …

(62)天は平家に味方したか?

阪本信子 会員 石橋山に頼朝軍が宿営した夜は暴風雨の荒れ狂う悪天候でした。 頼りの三浦勢は海路を取るべき所、悪天候のため陸路をとり、酒匂川まで到着した。 しかし、折からの雨で増水し、渡ることが出来ず目の前に頼朝勢を見ながら、心は逸れどもどうに…

(61)敗因は明確、石橋山の合戦

阪本信子 会員 頼朝は18日に山木攻めで勝利すると、休む暇もなく20日には出陣しています。 準備も整わないのに何故こんなに急いだのでしょうか。 実はまだまだ相模や武蔵には平家の息のかかった者が多く、同じ伊豆に大勢力を張る伊東祐親は仇敵の間柄で仲も…

(2006/05/14) 生野銀山の歴史を訪ねる旅

■1200年の歴史をもつ生野の銀は、信長、秀吉、家康の三大英傑をも魅了した。 主催 兵庫歴史研究会 探訪地 生野銀山とその周辺 探訪日 平成18年5月14日(日)、雨天決行 集合場所 JR三ノ宮駅東300m 観光バス発着所 集合時間 午前8時15分集合、8時3…

(60)後味の悪い山木攻め

阪本信子 会員 山木兼隆は頼朝と同じく流罪になってこの地に流されていたのですが、知行国主源頼政が以仁王の変で討死すると、代わって平時忠が知行国主になり、山木は目代に任じられましたが、たった3ケ月の目代暮らしで気の毒にも殺される羽目になりまし…