(2006/05/14) 生野銀山の歴史を訪ねる旅

■1200年の歴史をもつ生野の銀は、信長、秀吉、家康の三大英傑をも魅了した。

  • 主催 兵庫歴史研究会
  • 探訪地 生野銀山とその周辺
  • 探訪日 平成18年5月14日(日)、雨天決行
  • 集合場所 JR三ノ宮駅東300m 観光バス発着所
  • 集合時間 午前8時15分集合、8時30分出発
  • 参加費 5,500円(平靴など歩ける服装にて参加のこと)
  • 申込先 梅村伸雄 078−592−1621
  • 申込期限 4月30日まで。但し、満席になり次第、受付を締め切ります。


  • 日程

三宮08:30発-10:30生野書院-井筒屋-12:00製錬所-12:30昼食(マロニエ)-生野銀山観光坑道・鉱山資料館(金香瀬旧露頭群跡)14:30-浄願寺-寺町16:30発-三宮着18:30頃



 生野銀山は大同2年(807年)に開坑され、室町年間の天文11年(1542年)には山名祐豊(すけとよ)が銀鉱脈を発見、本格的な採掘が始まりました。その後織田信長豊臣秀吉の直轄時代を経て、江戸時代には徳川家康が「銀山奉行」を設置。佐渡金山、石見(いわみ)銀山と並び徳川幕府の財源的な存在でした。そして「生野代官」が置かれ、やがて生野銀山は第三代将軍・家光の頃に最盛期を迎え、月産150貫(約562kg)の銀を産出しました。

■探訪地概要

  • ◎生野書院:古文書や書画などの文化財をはじめ、生野町絵図や銀山旧記、見石の幕など、過去の文化遺産と共に1,200年の銀山-の歴史物語が再発見することができる。
  • ◎井筒屋:吉川家は江戸時代の山師で、井筒屋を名乗り郷宿を営んでいた。山師は、江戸時代の生野銀山では代官所から採掘権を与えられた銀山の経営者であった。郷宿は、公用で代官所に出頭するための宿で、訴訟人に宿を提供する他、訴訟の手続き等を行うなど弁護士の前身であった。
  • ◎観光坑道:銀山隆盛の歴史を今に伝える、近代坑道・金香瀬坑。この地底に繰り広げられた偉大なる文化の跡を、光と音で魅力的に演出、様々に色が変る光のゲート、かつて多くの坑内作業者がその命を託し地中深く降りていったエレベーター立坑。その巨大な捲揚ドラムのある捲揚室。 旧坑道では、ノミ跡も生々しい掘り跡を紹介し、江戸時代の坑内作業を電動人形で再現している。
  • ◎資料館:江戸時代の鉱山立体模型、鉱山を描いた絵巻物、鉱山の器具類などが展示されている「鉱山資料館」、幕府に献上する上納銀ができるまでの製錬工程を電動人形で再現した「吹屋資料館」など。