2005-01-01から1年間の記事一覧

(46)頼政は埋もれ木なのか?

阪本信子 会員 平家物語を読んでいると、作者は死に方について相当配慮をしています。 頼政には念仏を高声に十ぺん唱えさせ、極楽往生間違いなしで、作者の好意的な意図が見えてきますが、すでに出家しているのですから考えられることです。しかし、源平盛衰…

(45)馬筏は東国武士の常識

阪本信子 会員 宇治川は京都攻撃にしても、守るにも要となる地点です。 戦いになると大橋が壊されるのは当然であり、それはこの地、この川にかけられたこの橋の宿命ともいえます。 頼政は橋板をはずし、騎馬の通行を妨害して平家の追撃を逃れようとしました…

(44)成功の決め手は身体能力

阪本信子 会員 以仁王の変が失敗したのは、もとはと言えば相少納言伊長の人相見が当たっていなかったからと言いますが、その全責任を彼にかぶせて良いものでしょうか。 最大の敗因は早くにこの企てが露見したことによって、予想していた兵力が集まらなかった…

(2006/02/12)江戸の医学

◇2月の例会のご案内 ◇ 日 時 2月12日(日)13時30分〜 会 場 兵庫県民会館 902号室 演 題 「江戸の医学」 参加費 会員三百円 一般五百円 講師 澤田 平先生 (堺鉄砲研究会主幹) 江戸時代の医学の一端として「薬売り」があった。 今回は、おなじみ…

(2005/11/06)楠正成の史跡を訪ねる

楠正成の史跡を訪ねる 探訪会報告 11月6日(日)の天気予報は全く行楽日和には程遠く、絶望的な悪天候との事でした。 8時30分に三宮を出発した時は小雨模様で、前日が晴天であっただけに残念との声が聞かれました。 最初の訪問地、観心寺まで阪本会員によ…

(43)人は昔も今も占いに弱い

阪本信子 会員 歴史に残る予言、占いは当たった例の記録が圧倒的に多いのですが、当たらなかった例として以仁王の決断を促した少納言伊長の相見があります。 人は迷った時、何かに頼ろうとします。 平家に対する不満、憎しみは昂じているが、さりとて平家討…

(42)天皇になりたかった以仁王

阪本信子 会員 所謂、以仁王の変と言われた事件の言い出しっぺは誰なのか。源頼政より以仁王の方に大きな動機がありました。 彼は何度も皇位につくチャンスを逃しています。 清盛の妻の妹健春門院滋子に鼻の下を伸ばし、15歳の以仁王を差し置いて、彼女の生…

(41)年寄りの冷や水、源三位頼政挙兵

阪本信子 会員 清盛が決行した治承の政変は、水面下で権門勢力の殆どを敵に回し、平家への憎しみがそのエネルギーを育てていたのです。 そして源平合戦の口火となる以仁王の変が勃発します。 これは10日あまりで鎮圧されましたが、誰が一番先に言い出したの…

(40)空しい治承の政変

阪本信子 会員 治承の政変は相次いでの息子重盛、娘盛子の死に老いを感じた清盛が全精力をかけての壮挙でした。 しかし、結果的に見て彼の超能力をもってしても伝統という壁は破ることができず疲れのみが残り、それ所か法皇幽閉はわが国特有の精神的拠りどこ…

(39)四面楚歌の平家

阪本信子 会員 治承のクーデターは計画的でなかったため不手際が目立ちます。 中でも院政を停止させるために強行した法皇の鳥羽殿幽閉は、各勢力に武力蜂起を促し、打倒「朝敵平家」の大義名分を与えました。 清盛の最後の仕上げは徳子の生んだ皇子言仁親王…

(38)人間万事塞翁が馬

阪本信子 会員 治承の政変によって不幸になった人もあり、幸せになった人もいます。運不運は天命であり、「人間万事塞翁が馬」人生最後まで捨てるものではありません。 清盛によって解官された実務官僚の後釜を早急に埋めるのが平家政権の第一の仕事となりま…

(37)捨てる神あれば拾う神あり

阪本信子 会員 治承の政変で清盛が目指したのは、高倉天皇による親政でした。全ての命令は高倉天皇の勅宣として合法的に発令され、貴族たちは蔭では不満をいいながら、表立っては何も反論できません。天皇というのはやはり最強の切り札で、利用価値のあるも…

(2005/12/04)江戸の女

◇12月の例会のご案内 ◇ 日 時 12月4日(日)13時30分〜 会 場 兵庫県民会館1202号室 演 題 「江戸の女」 参加費 会員三百円 一般五百円 講 師 阪本 信子 会員 暗く悲しいのが「江戸の女」というイメージを持ちやすいのですが、いつの時代にも例外…

(2005/11/19)

◇『平家物語』講座案内◇ 日 時 11月19日(土)午後1時30分〜 会 場 県民会館 1202号室 講 師 阪本信子会員 会 費 会員 三百円 一般 五百円 内 容 『永僉議』『大衆揃』 宗教、信仰とは何なのか、矛盾に満ちた人間くさい権力志向の組織です。

(2005/11/19)『諸家仕置伺留書』

◇古文書教室ご案内◇ 日 時 11月19日(土)午前10時30分〜 会 場 県民会館 1203号室 講 師 北村六合光会員 会 費 会員 五百円 一般 七百円 テキスト『諸家仕置伺留書』 役人にとって事件の処理は、どこの管轄に属するものなのかが重要です。

(36)窮鼠猫を噛む

阪本信子 会員 頼りにしていた嫡子重盛、そして藤原摂関家との絆であった娘盛子に死なれた清盛の悲しみを逆撫でするような後白河法皇の挑発に、清盛は終にクーデター決行に至ります。 法皇は重盛知行地越前国及び故基実の室である娘盛子の管理下にあった摂関…

(35)懲りない男、その名は後白河

阪本信子 会員 とにかく清盛は平治の乱以来8年で太政大臣になっているのですから、朝廷秩序を乱す者として嫉妬され反発されるのは当然です。 平家と山門を戦わせ両者の勢力削減なるかと思われた鹿の谷事件では、法皇側近の処分ですみましたが、平家の繁栄に…

(34)重盛の死

阪本信子 会員 「平家物語」によれば42歳の重盛の死は平家の末路を見たくないから早く死なせてくれ、と神仏に願っての自殺願望的な死であり、医者の治療を天命だと断っているのは現代風にいえば尊厳死かもしれません。 しかし、だからといって願望通りに死な…

(33)平家繁栄に暗雲か

阪本信子 会員 皇子誕生に関わる儀式を貴族の日記からみると、何日も祝宴が続き、貴族たるもの酒が飲めなくては付き合いはできません。総じて濁り酒の飲酒量は相当なもので、副菜は貧弱で糖尿病者が多かったというのもよくわかります。 このように皇子出産の…

(2005/11/06)楠正成の史跡を訪ねる

平家物語の講師 阪本信子会員が、道中『太平記』の話をします。 主催 兵庫歴史研究会 探訪地 河内長野から千早赤阪村 探訪日 平成17年11月6日(日)、雨天決行 集合場所 JR三ノ宮駅東300m 観光バス発着所 集合時間 午前8時15分集合、8時30分出発 参加費 6,000…

(32) 運命の皇子言仁(安徳)誕生

阪本信子 会員 流人を大赦したお蔭かどうかわからないが、とにかく徳子は皇子を生みました。これで父の期待に応えた娘としてお手柄、お手柄です。人々は平家には運がついていると羨みました。 古典の中での出産記事は「紫式部日記」に詳しいのですが、読み比…

(31) 神仏任せの出産

阪本信子 会員 中宮徳子の安産を願って最初は60人の罪人に大赦が行われましたが、陰陽師が占いで決めた出産予定日に産れなかった為清盛は不安になり、祈りが足りないのではないか、怨霊、悪霊が未だ取り憑いているのではないかと布施、寄進、祈祷は激化し、…

(30) 芝居っ気たっぷりの俊寛の悲劇

阪本信子 会員 平家作者は信仰心のない人間を仕立て上げ、容赦なく悲しい結末を用意しています。 逆に言えば、悲しい結末には多少に関わらず信仰心の有無が関わっているということです。 その悲劇の人が俊寛です。 俊寛の記述は赦免使と成経、康頼を乗せた船…

(29)芝居っ気たっぷりの俊寛の悲劇

阪本信子 会員 平家作者は信仰心のない人間を仕立て上げ、容赦なく悲しい結末を用意しています。 逆に言えば、悲しい結末には多少に関わらず信仰心の有無が関わっているということです。 その悲劇の人が俊寛です。 俊寛の記述は赦免使と成経、康頼を乗せた船…

(2005/10/02)尼崎城を語る

◇10月の例会のご案内 ◇ 日 時 平成17年10月2日(日)13:30より15:00頃まで 場 所 兵庫県民会館 1202号室 JR・阪神「元町駅」の山側、徒歩7分。地下鉄「県庁前駅」1-2出口 演 題 「尼崎城を語る」 参加費 会員三百円 一般五百円 (申込み不要・自由参加) …

(2005/09/17) 『源氏揃』

◇『平家物語』講座案内◇ 日 時 9月17日(土)午後1時30分〜 会 場 県民会館 1202号室 講 師 阪本信子会員 会 費 会員 三百円 一般 五百円 源頼政が平家打倒の兵を挙げた原因は、何だったのでしょうか。

(2005/09/04)『諸家仕置伺留書』

◇古文書教室ご案内◇ 日 時 9月4日(日)午前10時30分〜 会 場 県民会館 1203号室 講 師 北村六合光会員 会 費 会員 五百円 一般 七百円 テキスト『諸家仕置伺留書』 所詮人間の書いたものですが、馴れの一手で読破するしかないでしょう。

(29)利用できるなら信仰も方便

阪本信子 会員 平家物語作者は島に一人残された理由として、清盛の恣意に加えて俊寛の無信心をあげています。 つまり、他の二人のうち、成経は熊野権現を勧請し、康頼と共に毎日参詣して帰京を祈り、平康頼は帰京の思いを綴った千本の卒塔婆を流し、その一本…

 七夕まつりは8月に(その2)

小合彬生 会員 大坂天満、華やかな夏祭でお馴染みの天神さん。七月二五日。これが室町時代の『康富卿記』という書物には『七月七日の天神祭』と記されています。江戸時代以前には、どうやら「七夕の夜」に天神祭りが行われていたのです。 天満宮の記録では、…

(28)悲劇大好き日本人向きヒーローは俊寛

阪本信子 会員 平家の歴史の中で、治承のクーデターといわれる事件の方が鹿ノ谷事件より重大事件ではないかと思うのですが、平家作者は鹿の谷事件には治承の政変の5倍に近い量のページを費やしています。 これは鹿の谷事件で逮捕された、法皇の側近グループ…