(41)年寄りの冷や水、源三位頼政挙兵

                                     阪本信子 会員
 清盛が決行した治承の政変は、水面下で権門勢力の殆どを敵に回し、平家への憎しみがそのエネルギーを育てていたのです。
 そして源平合戦の口火となる以仁王の変が勃発します。
 これは10日あまりで鎮圧されましたが、誰が一番先に言い出したのか、以仁王なのか頼政なのか後白河法皇か、はたまた寺社勢力なのか、決定的資料は無く後世の人々の判断に任せられるところです。
 平家物語では頼政以仁王をそそのかしたと言っていますが、彼にはその動機と考えられるものは殆ど見当たりません。
 平治の乱では源氏総崩れの中で裏切り者の汚名を蒙りながら、都でただ一人の源氏として生き残り、武勇より和歌などで名をはせ、貴族社会に受け入れられていました。
 少々遅咲きですが75歳の時、清盛の推薦で従三位となり、一応貴族としての最終段階の障害をクリアし、閣僚ともいうべき公卿の席に列し、ご先祖様もびっくりするほどの出世で、功なり名を遂げて出家し、いまや悠々自適の毎日です。
 寿命も76歳ですから当時としてはとっくに平均寿命を越えていて、息子たちもしかるべき地位にあり、何が不足で平家打倒を思いたったのでしょうか。
 もし平家に不満、妬みがあったとしても、自分の実力を過信するほど世間知らずではありませんし、今までの忍耐を無に帰し、一族を破滅に追い込むようなことをするはずがありません。
 しかし、実際に挙兵しているのですから、何かあったのは確かで、事件解決の鍵は誰が一番にこの計画を言い出したかの解明にあると思います。
 責任者出て来い! (つづく)