(40)空しい治承の政変

                                     阪本信子 会員
 治承の政変は相次いでの息子重盛、娘盛子の死に老いを感じた清盛が全精力をかけての壮挙でした。
 しかし、結果的に見て彼の超能力をもってしても伝統という壁は破ることができず疲れのみが残り、それ所か法皇幽閉はわが国特有の精神的拠りどころを傷つけるものとして、反対勢力に平家打倒の大義名分を与えてしまったのです。
 よく平家政権云々といわれますが、これは治承3年11月以後のことであり、冒頭の章文にいう「猛き者」清盛に相応しいのはクーデター後の清盛で、彼の死までの僅か1年3ケ月に過ぎません。
 これ以前は有力武家貴族に過ぎず、平家政権の独自性はクーデターによって始めて発揮できたのです。
 しかし、この短い期間にどれほどのことが出来たでしょうか、最後の仇花、打ち上げ花火のようなクーデターです。
 確かに清盛はワンマンですが、平家にとって致命傷は彼を越える優秀なブレーンを持たなかったこと、二代目平家の棟梁として技倆に遜色のない重盛を失ったことでしょう。
 平家打倒の風が密かに吹き始め、これが風速を増して台風並の暴風雨となって平家に襲いかかって来るまでに、そんなに時間はかかりませんでした。
 ましてや、あれほど目にかけていた源頼政以仁王の企てに加担していようとは夢にも思わず、平家凋落の鐘の音はもう鳴らされていたのです。(つづく)