2006-05-01から1ヶ月間の記事一覧

(68)平家の支持率は下がり続けていた

阪本信子 会員 石橋山の合戦で頼朝は敗軍の将となりました。こんな場合、軍兵たちは逃げるのが当たり前で、新規に加わるというのは常識では考えられません。ところが、本人も信じられない位、次々と味方は増え続けたのです。 そして、約1ケ月後には南関東を…

(2006/07/02)移住坂〜世界への坂道〜

◇7月例会の案内◇ 日 時 7月2日(日)13時30分〜 会 場 兵庫県民会館 304号室 演 題 移住坂〜世界への坂道〜 参加費 会員三百円 一般五百円 講 師 楠本利夫 先生 第一回ブラジル移民船・笠戸丸が、明治41年に神戸を出港、昭和3年には神戸移民収容所開設…

(2006/06/04)播磨の鬼追い

◇6月の例会のご案内 ◇ 日 時 6月4日(日)13時30分〜 会 場 兵庫県民会館 304号室 演 題 「播磨の鬼追い」 参加費 会員三百円 一般五百円 講 師 藤原喜美子 先生 兵庫県の播磨地域では、鬼追い・鬼踊り・追儺式と呼ばれる行事が行われています。 …

(67)平家の大将は能力よりもブランド重視

阪本信子 会員 頼朝挙兵の報を聞いても、京都ではそれほど重大に考えていませんでした。9月5日に頼朝追討令が発せられ、維盛を大将に副将は薩摩守忠度、侍大将として藤原景清が任じられた迄はともかくとして、軍勢が福原を出発したのは17日後の9月22日、京都…

(66)決断は一か八かの博打です

阪本信子 会員 下総の千葉氏、上総の平広常らは何れも平家に遺恨を持っている大豪族ですが、彼らを帰服させたことによって関東の大勢は決したといってよいでしょう。 時を経るにつれ軍兵も増えてくると、だんだん威厳のようなものが出てきて、大政治家頼朝が…

(65)「子孫の勲功募らんと欲す」が本当の目的

阪本信子 会員 頼朝は石橋山の合戦に惨敗し、かろうじて房総半島に逃れた。応援に駆けつけた三浦義澄は丸子河に隔てられ、なす術もなく引き上げた。ところが由比ガ浜で平家方の畠山重忠の軍勢と遭遇してしまったのです。 畠山重忠は三浦氏とは親戚ですが、こ…

(64)初めは処女の如き頼朝

阪本信子 会員 挙兵当初、頼朝は気配り人間そのもので、一人一人の手をとって「頼りにするのはお前だけ」と口説き「いんぎんの芳志」で協力を得ています。しかし、吾妻鑑には「真実の密事は北条殿の他、これを知る人なし」と書かれ、無邪気な東国武士の善意…