(66)決断は一か八かの博打です

                                  阪本信子 会員

 下総の千葉氏、上総の平広常らは何れも平家に遺恨を持っている大豪族ですが、彼らを帰服させたことによって関東の大勢は決したといってよいでしょう。
 時を経るにつれ軍兵も増えてくると、だんだん威厳のようなものが出てきて、大政治家頼朝が出来上がってゆきます。
 激しい気性で意地の張り合いで生きているような関東武士を一つにまとめ、目的に向って動かし、成功した頼朝は確かに不世出の大政治家です。
 日和見を決め込んでいた豪族は大勢いました。
 平家のやり方に不満を覚えながら、さりとて頼朝に与力する決断には至らなかったというのは無理もありません。
 当時は家を存続させるというのが最優先で、徹底的に頼朝と対立していた大庭景親さえも長男と次男は頼朝方につき、三男と四男は父と共に平家に味方しています。
 頼朝は帰属してきた武士たちの殆どを許していますが、大庭景親だけは如何なる口ぞえがあろうと許さず、斬首しています。
 石橋山の敗戦の恨みでしょうか。
 大庭と共に頼朝を攻めた伊藤祐親は許されますが、恥じて自害しています。
 娘と頼朝が恋仲になり、子供までもうけておきながら、潰してしまったのは悔恨の極みであり、彼の慎重にして体制に忠実な行動が紙一重で運命を変えてしまったのです。
 あの時代、頼朝と心中するくらいの決心がなければ娘との仲を許し、応援できるものではありません。
 危険な賭けに勝った時政のほうが博才に長けた、見方によれば非常識な人物だったのかも知れません。   (つづく)