2006-01-01から1ヶ月間の記事一覧

(51)福原へは遷都?行幸?

阪本信子 会員 6月27日、以仁王の変に加担した寺社の処罰についての公卿会議が開かれ、公卿たちの反対で徹底的処罰は出来ませんでした。これによって法皇、反平家貴族、寺社間の連携は温存され、反平家連合が再び結成される可能性ありと考えた清盛は、その5…

(50)遷都は平家の疫病神となった

阪本信子 会員 とにかく清盛の福原遷都は不評でした。しかし、彼の一存で法皇から天皇、公卿まで有無を言わさず引き随えて、京都を空にしてしまったのですから良くも悪くも凄いエネルギーです。 しかし、清盛にとって乾坤一擲の遷都も、事態をより以上悪くし…

(49)ブレーン不足が致命傷

阪本信子 会員 重盛亡き後、清盛の独裁性がますます昂じていったのは確かで、遷都が平家の誰とも相談しないままに清盛独断で決定したという事からも判断できます。 清盛にとって大英断だったかもしれませんが、他に方法がなかったのかと言えば、一番拙い選択…

(48)愚行の遷都

阪本信子 会員 治承4年の以仁王の変は頼政及び以仁王の死をもって終わりました。しかし、それは平家討伐への種火となって燎原の火の如く燃え広がり、平家の凋落がはじまります。 そして、清盛らしくない焦りの決断が福原遷都です。 歴代天皇のうち遷都に無駄…

(47)本当の被害者は鵺

阪本信子 会員 保元、平治の乱以降は武士の力が見直され、武も評価の対象となり、文武両道の人物が好ましい人物となりました。 頼政の仕事は大内裏守護という、これはれっきとした武士の本業です。しかし、頼政の歌は16の勅撰集に58首が載せられたほどで、当…