2006-09-01から1ヶ月間の記事一覧

(85)早死で高まった高倉名君説

阪本信子 会員 平家作者によって、こんな立派な天皇はまたとないとの最高の讃辞を呈されている高倉上皇が亡くなられたのは、南都炎上から半月余り後の治承五年1月14日のことです。 死亡原因は結核で当時は不治の病とされ、いかに手当てを尽くそうと抗生物質…

(2006/11/26) 11月探訪会の案内

■「安土城と周辺の歴史を訪ねて」 主催 兵庫歴史研究会 探訪地 安土城とその周辺 日 時 11月26日(日)雨天決行 集合場所 JR三ノ宮駅東三〇〇m 集合時間 午前8時15分 出発8時30分 三ノ宮帰着予定 午後6時30分 参加費 6,500円(昼食代・入館料含)…

(84)南都炎上は既定方針だった

阪本信子 会員 平家の精鋭を相手に僧兵が勝てるはずもなく、あっという間に追討軍は南都に侵入した。 平家物語によれば夜戦になり、松明代わりに民家に火を放ったところ、燃え広がり大火になり寺々を焼いたという偶発的な結果で、重衡としては思いもよらない…

(83)何とする南都

阪本信子 会員 清盛が都を福原へ移した理由の一つは寺社勢力からの分離でしたが、半年後、京都へ都を戻したのも大いに寺社対策が関わっています。 福原造都に一所懸命になっている間に、近江を始め畿内に反平家勢力が集合、日々膨れ上がっていたのです。 今…

(82)武力をもつ寺社勢力は宗教?

阪本信子 会員 話し合いによる解決が出来ればこれに越したことはありません。但し、聞く耳持たぬ相手にいくら話し合いでの解決を呼びかけてもそれは無駄というものです。 朝廷からは興福寺蜂起の混乱をおさめようと、摂政基通が使者を派遣しても相手にされず…