七夕まつりは8月に(その2)

                                     小合彬生 会員
 大坂天満、華やかな夏祭でお馴染みの天神さん。七月二五日。これが室町時代の『康富卿記』という書物には『七月七日の天神祭』と記されています。江戸時代以前には、どうやら「七夕の夜」に天神祭りが行われていたのです。
 天満宮の記録では、寛永二十一年から、その祭日が変更されたといいます。
 そうすると、サン・ロレンツォと天神様の祭りは、ともに、七夕の夜、『伝えられているように、かの中世に出現した大流星雨』を見ながら、天上の神に無事と幸運を祈ったのが起源だったのではないでしょうか。
 また、下関市長府、忌の宮(いみのみや)神社では、数方庭(すほうてい)神事が、七月七日の夜行われます。大勢の若者が長い青竹を垂直に支えて、夜空を睨んでいるのですから、これも元をただせば同じ意味の星まつりだったのでしょう。
 ここにいう天神様とは、後に合祀された菅原道真公ではなくて、天神様そのもの、ずっと古い御神体である『牛の頭の大王・グズ大王』でありましょう。
 この神はスサノオの命とも関係があります。ルシファー、つまり光るもの。恐怖の大王ルシファー、イシュタール、イナンナなど恐ろしい神々を意味しているともいわれます。
 星としては地平に輝く、あの明けの明星、金星と関係があると信じられています。そして、言葉の上からルチア、サンタルチアも、なにかの関連が推察されます。
 奈良の大仏さんは、ルシャナ仏あるいはビルシャナ仏と呼ばれますが、これも、仏教に取り入れられた恐怖の大王・ルシファではないかと思っています。奈良の都の真ん中に、人類滅亡の危機を回避するため、国家の安泰のため、膨大な努力を注ぎ、でっかく設立されたのです。
 そういえば、唐招提寺にもルシアナ仏が祭られていました。ルシアナ仏が、とくに頼られた時代だったのです。