(32) 運命の皇子言仁(安徳)誕生

                                     阪本信子 会員
 流人を大赦したお蔭かどうかわからないが、とにかく徳子は皇子を生みました。これで父の期待に応えた娘としてお手柄、お手柄です。人々は平家には運がついていると羨みました。
 古典の中での出産記事は「紫式部日記」に詳しいのですが、読み比べてみて,和漢混淆文の「平家物語」の方に迫力があります。
 平家物語には盛大な中宮徳子の出産の模様が詳細に書かれていますが、これは平家の隆盛を語り、駆けつけたそうそうたる公卿の顔ぶれからも、平家は没落どころか皇子誕生によって明るい未来しか有り得ない筈でした。
 難産の後、重衡が「御産平安、皇子御誕生候ぞや」と大声で叫ぶと、法皇、関白以下の大臣、公卿殿上人を初め一同から歓声があがり、門外にまで響き渡るどよめきは暫くの間なりやまず、清盛は声を上げて喜びに泣きました。
 ところがこの直後、縁起でもない事態がおこります。
 子供が生まれた直後には後産を促すためにこしき甑(穴の開いている蒸器)を屋根から落して割ります。この時男児の場合は南へおとすのですが、女子が生まれた時のように北向きに落してしまったのです。やり直していますが、なにか不吉なものを感じます。
このことが後世種々の風聞を生みました。
 実は安徳天皇は女であったが清盛は男ということにした。だから壇ノ浦で二位の尼は無理心中をせざるを得なかったのであり、安徳の遺骸が上がらなかったのは男の子ばかりを捜していたからである、というものです。
 おまけに員数あわせに動員された陰陽師の冠が落ちて、不吉のダメ押しとなります。
 しかし、気は心です。気にすれば箸が転がっても不吉となりますが、吉にもなるものです。(つづく)