(31) 神仏任せの出産

                                     阪本信子 会員
 中宮徳子の安産を願って最初は60人の罪人に大赦が行われましたが、陰陽師が占いで決めた出産予定日に産れなかった為清盛は不安になり、祈りが足りないのではないか、怨霊、悪霊が未だ取り憑いているのではないかと布施、寄進、祈祷は激化し、大赦の人数も13人追加しています。もし平家物語でいう俊寛1人に赦免状が届かなかったとしても、この第2次大赦のリストに漏れることはなかったでしょう。
 寺社へ寄進、祈祷の使者はひきも切らず、名ある僧侶は勿論僧、陰明師と名のつくものは、3ケ月ほどは平家専属となり、彼らにとっては笑いの止まらない、かき入れ時でした。
 現代人にとって出産予定日までも陰陽師が決めるなど考えられませんが、出産のメカニズムがわかっていないのですから、当時としては神仏任せで、陰陽師の担当分野でした。
 難産であったというのは「山槐記」「玉葉」からも伺われ、「僧徒声をあぐる雷の如し」「僧徒加持の声殆ど虚空に満つ」の、現代人からみれば騒音以外の何物でもないひどい環境の中で、貴族達は誕生の知らせを今か今かと待ちうけています。
 迷信を信じない清盛もわが娘となると別で、出来る限りのことをやったという満足感はなく、ただおろおろとしているだけで、この時の清盛はただ娘の安産を願う父親に過ぎなかったのかも知れません。(つづく)