(44)成功の決め手は身体能力

                                     阪本信子 会員
 以仁王の変が失敗したのは、もとはと言えば相少納言伊長の人相見が当たっていなかったからと言いますが、その全責任を彼にかぶせて良いものでしょうか。
 最大の敗因は早くにこの企てが露見したことによって、予想していた兵力が集まらなかったことですが、直接的敗因は三井寺から興福寺へ向う途中、六度以仁王が落馬したので、宇治平等院で休息したことです。
 一気に興福寺へ到着していれば、平家も簡単に手を出すわけにゆかず、そこで時間稼ぎをしている間に情勢はどう変わっていたかわからず、令旨の効果によって近辺の武士や寺社勢力が加わってきたかもしれません。
 平家作者は以仁王疲労、睡眠不足のためであったと弁解していますが、寝ていないのは彼一人ではありません。
 たった8〜9kmの間に6回の落馬とは、単に馬に乗るのが下手だっただけのことでしょう。
 三井寺から興福寺までなら半日もあれば行けます。
 ましてや追われる身でありながら、何故宇治で休憩したのか。
 この説明として、以仁王の落馬を考えたのかもしれませんが、こんなひ弱なことで、平家を倒せるのでしょうか。
 それまで以仁王は戦いに備えての訓練を何もしていなかったでしょう。それが今は兵を統率し、戦わねばならぬ、もし失敗した時のことを考えると不安と焦燥でろくろく眠れないのはよくわかりますが、ここまでが体力の限界であったとは、大事を決行しようという人物にしてはお粗末です。
 以仁王の体力不足が頼政を死に追いやったといえるでしょう。
 何事も準備が大切ですが、その中には身体能力も含まれていることを忘れていたようです。
 「頼政に口取り六度叱られる」(つづく)