(2005/10/02)尼崎城を語る

◇10月の例会のご案内 ◇

  • 日 時 平成17年10月2日(日)13:30より15:00頃まで
  • 場 所 兵庫県民会館 1202号室 JR・阪神元町駅」の山側、徒歩7分。地下鉄「県庁前駅」1-2出口
  • 演 題 「尼崎城を語る」
  • 参加費 会員三百円 一般五百円 (申込み不要・自由参加)
  • 講 師 荒井芳久 会員
  • 主 催 兵庫歴史研究会
  • 問合せ先   ℡ 078-592-1621 梅村伸雄



  1. 尼崎の生い立ち
  2. 尼崎の歴史的推移
  3. 義経と静」「船弁慶
  4. 尼崎城伊丹城有岡城
  5. 尼崎城の成立 戸田/青山/松平、(尼崎・西宮・芦屋・神戸との関わり)
  6. 明治の廃城令



 尼崎の「田能遺跡」が弥生時代のほぼ全期間に及ぶ大集落跡であったというように、尼崎は古代の歴史を物語る土地であり、中世近世を通して海陸ともに交通の重要な拠点であった。その尼崎に荘園・戦国の各時代の移り変わりの中で荒木村重尼崎城を築き、引き続き1617年頃には戸田氏鉄が珍しい四層の天守閣をもつ尼崎城を築き上げた。
 この尼崎城は外観の美しさから「琴浦城」とも呼ばれていたが、政治・経済・軍事などあらゆる面で、大坂が幕府の西国支配の最重要拠点になると、その西に位置する尼崎は、軍事上、大坂の西を守る要(かなめ)の地として幕府から重視され、以来260年間西国を睨みつづける重要な城となった。
 しかしこの城も、明治7年の廃城令に依って姿を消してしまったが、尼崎城の歴史的な意義は大きなものであり、全国の城と比較しつつ、尼崎城の生い立ちから終焉までを語ってみたい。