(35)懲りない男、その名は後白河

                                     阪本信子 会員
 とにかく清盛は平治の乱以来8年で太政大臣になっているのですから、朝廷秩序を乱す者として嫉妬され反発されるのは当然です。
 平家と山門を戦わせ両者の勢力削減なるかと思われた鹿の谷事件では、法皇側近の処分ですみましたが、平家の繁栄に危惧を抱いた法皇が張本人であったのは見え見えです。
 歴代天皇の中で個性的で天皇らしくない天皇は後白河、後醍醐、後水尾などが挙げられますが、彼らに共通しているのは「しぶとさ」です。その中でダントツは後醍醐天皇ですが、後白河法皇も相当なものです。
 しかし、これは天皇法皇であるが故に殺されないという理由からで、武士は諦めが早いと言われるのは、事が破れると殺されるのが通常ですから、殺される前に自決するということで、殺されることがなければ、しぶとく生き長らえ何度でも目的達成に邁進するでしょう。
 権力志向の強い天皇法皇がその特権故に何度失敗しても殺されず、懲りずにやっているだけで、別に彼らが人並みはずれた政治的資質を持っているわけでも何でもないのです。
 徳子の生んだ言仁親王天皇になる、その3ケ月前に所謂治承の政変は起りました。
 いかなる理由があったにせよ、法皇幽閉という行為は大逆の罪として、清盛悪人のレッテルに重みを加えました。
 しかし、清盛に言わせれば、自分こそ被害者だというかもしれません。(つづく)