(38)人間万事塞翁が馬

                                     阪本信子 会員
 治承の政変によって不幸になった人もあり、幸せになった人もいます。運不運は天命であり、「人間万事塞翁が馬」人生最後まで捨てるものではありません。
 清盛によって解官された実務官僚の後釜を早急に埋めるのが平家政権の第一の仕事となりました。
 藤原行隆という男がいました。14年前に二条天皇によって重用され、五位蔵人としてその才腕をふるいましたが、二条天皇が若死にし、後白河法皇によって解官され、貧窮生活を送る羽目になった人物です。
 平家物語は彼の14年間に亘る貧乏暮らしをリアルに綴っています。 衣服にも食事にも事欠くという「あるかなきか」の暮らし向きで、なまじ羽振りの良かった二条天皇蔵人時代を思い、わが身の不運を歎いています。
 もう2度と陽は当たるまいと諦めていた彼が清盛によって召し出されたのは14年後、51歳の時です。 行隆は叱られるのか、咎められるかと恐れましたが、それも無理のないことです。
 妻子とはこれが最後と覚悟し、弟に牛車、随員、装束まで借りて出かけましたが、元の官職に戻し、荘園などに加え、さし当っての生活必需品までもたっぷり頂いたのですから「手の舞い足の踏みどころも覚えず」夢かとばかりに驚きました。
 今までの不運を一気に挽回するほどの厚い待遇を清盛は与えましたが、敗者復活後の彼は清盛の期待に十分応え得る業績を上げており、平家滅亡の後も重用され、重要案件の文書には彼の名がしばしば見られます。
 運が良かっただけでなく才能があり、努力も怠らず、誠実な人柄がこうさせたのです。
 「人間万事塞翁が馬」は運任せの言葉として使われますが、折角のその運を生かすも殺すも、やはり自分自身なのです。(つづく)