(62)天は平家に味方したか?

                                     阪本信子 会員
 石橋山に頼朝軍が宿営した夜は暴風雨の荒れ狂う悪天候でした。
頼りの三浦勢は海路を取るべき所、悪天候のため陸路をとり、酒匂川まで到着した。
 しかし、折からの雨で増水し、渡ることが出来ず目の前に頼朝勢を見ながら、心は逸れどもどうにもならず、平家武士団の所領に火を放ち、略奪を働いた。
 対岸の黒煙を見た大庭勢は怒り、三浦勢がこちらに渡ってくる前にと、風雨の闇の中を頼朝陣めがけて攻め込んだ。
 これを見て伊東祐親も攻撃開始。
 勝負は一瞬のうちに決し、頼朝方の惨敗でした。
 この時多くの優秀な部下を失っているが、諸条件を考えても勝敗は初めから決まっていたのです。
 頼朝は土肥実平と共に箱根の山中に逃れました。翌日残党狩りの手が及び、頼朝は伏木の洞穴に身をかくしたが、これを見つけたのが大庭勢に与していた梶原景時でした。
 『吾妻鑑』によれば「有情の慮を存じ、この山に人の居る気配なし」といって、大庭景親を他の方向に案内して頼朝を助けたとなっている。
 景時からみれば、頼朝より大庭の方が近い存在なのに、何故大庭を裏切り頼朝を助けたのでしょうか。
 景時に先見の明がったというべきでしょうが、後にこれが景時に幸運をもたらすことになります。(つづき)