(5) 建春門院 滋子 (2/3)

                                 阪本信子 会員
http://d.hatena.ne.jp/hyogorekiken/20050228 からの続き
 彼女がいなかったら平家の繁栄はなかっただろうと言われるのが、建春門院滋子です。
 後白河法皇の周りには、御多聞にもれず美女たちがひしめいて寵を競っていました。
 その中でどこへ行くのもいつも一緒だったというのは、美しいだけでなく、賢く、かなりしたたかで、根性、政治性もあった女性と思われます。
 しかし、女の成功の終着駅はやはり子供を生むことで、それも男の子でなくてはなりません。
 いくら平家財力でバックアップし、お膳立てしても、こればかりは人間の力ではどうしようもないことです。
 歴史上の権力者は実力も必要ですが、運のよさも兼ね備えているものです。清盛の運のよさは滋子が二十歳で皇子を生んだことで極まりました。
 その皇子が高倉天皇となり、娘徳子を中宮にあげて、平家の未来は洋々と開けてくるのですが、運を使い切ってしまうのも人間です。諸行無常、永遠の繁栄はありません。
 細腕一本で平家と法皇を繋ぎ、バランスを保ち、和らげ、平家を繁栄の軌道に乗せた滋子の早死にで、法皇と清盛の関係にひびが入るのですから、女の力の大きさを思い知らされたことでしょう。
http://d.hatena.ne.jp/hyogorekiken/20050314 へ続く