(十一)遮光器土偶―①
十一.{しゃこうき}遮光器{どぐう}土偶―① 坂田 護
日本列島から出土した古代の遺物の中にあって、青森県の津軽平野の亀ケ岡で発掘されたこの土偶ほど、神秘的で不思議な発掘品はない。
縄文晩期のものだと言われているから、紀元前三〜四〇〇年頃の産物ということになる。この土偶を有名にしたのはその顔であり、とりわけ目の特徴にある。大きなサングラスか、スキーのゴーグルのようでもあり、ヘルメットをかぶった宇宙飛行士に見えるので「宇宙人説」も存在するらしい。
この土偶を一般的に遮光器土偶と呼ぶのは、明治二十三年に発表された坪井正五郎博士の説による。
雪深いシベリヤやグリーンランドの原住民は、雪に反射する強い太陽光線から眼を守るために、狭い横線のすきまのある木製の護眼器(雪中遮光器)を使用していたことから、
これは遮光器を必要とした雪国東北の古代人の姿だという訳である。
この土偶の造形と装飾からは縄文人の情念の密度が感じられるが、ここで図をよく見て考えてみたい。
遮光器とは今日でいうサングラスである。雪中の紫外線をよけることは、人間にとって面倒くさい行為であったはずである。細いスリットから外界をのぞくのは決して楽しくはないし、わずらわしくもウットウシイことだったはずである。
そんなウットウシイ状態・姿をわざわざ粘土で造形して、永く記憶に止めたいとおもっただろうか…。
眼の細い横線が物語るもの――
大きな両眼は「何」を物語るのだろうか、そして「なぜ」眠るがごとく眼を閉じているのか。土偶は片足が欠けているが、明らかに人間の姿を表現している。 (図)
眼を閉じた仏像は、人間が瞑想する姿を表現している。だとすれば、この土偶も瞑想する縄文時代の聖者の姿ではないのか。仮にそうだとしても、やはり両眼の大きさは異常だし、特にまぶたが眼の中央で閉ざされている点が最大の謎である。
人間のまぶたは上から下へと閉ざされる。
しかし、この土偶の上下のまぶたは、中央で閉ざされているので、これは人間の眼を表現したものではない、ということになる。これが、遮光器(サングラス)説が提起された理由でもあるのだろう。
獣面人間だった?―――
この土偶は獣面人間の姿ではないか。いわば、何かこのような特徴ある眼をもった「動物」と「人間」とが合体した姿の造形だったのでは。
このように中央で閉じるまぶたをもつ動物で、すぐにも思い起こせるものに「亀・かめ」がいる。
神戸市立王子動物園の専門家に聞くと、亀は下まぶたから動き始めて、眼の中央のやや上側で結ばれるという。
土偶の姿はズングリした身体で、芸術的にデフォルメされているとしても、細身のカマキリを想起こさせるには無理がある。
土偶の身体の紋様も、大方の亀のザラザラした象皮のような皮膚を思い起こさせはしないだろうか。
首も太く、襟元の丸い穴から突き出ているように見えるし、手足もその気になって見れば、衣服のようにデフォルメされた亀の甲羅から出ている四本の脚に見えてくる。
「亀族」の聖なるシンボル――
土偶は明らかに「亀」と「人間」を合体させた偶像であると思う。
その根拠は前述の通りだが、なによりも、土偶が出土した遺跡地名が「亀ヶ岡」だからでもある。
亀ヶ岡には「亀」を自らの祖神として崇め、かつシンボルとした部族が住んでいた。その亀ヶ岡から彼らの手によって作られた、祖神の瞑想姿態、あるいは死の状態を表象する土偶が出てきても、なんら不思議ではないはずである。
神として崇拝する獣祖観念(トーテミズム)が存在した事実があったからであり、本紙でも多くの例証を試みてきている。
蛇を祖神とするもの、鳥を祖神とするもの、さらに牛・馬など古代人の獣祖観念は多様であった。ここで亀を祖神として崇めた部族がいたとしても、なんら驚く必要はない。
そうして、この「亀族」の存在には我が国の古代史の謎を解く重要な鍵になっているように思う。
鶴は千年・亀は万年
「鶴は千年、亀は万年」と言うように、鶴亀は長寿のシンボルであった。鶴亀は結納などに使う「島台」の上に飾られる。島は山でもあるので、島台は山台であり邪馬台のことだった。とすれば……。次号に続く