続芦屋郷、社家郷、本庄荘山論

境界争いの歴史的考察(4)

中西輝夫 会員 池田家 その4 池田家の系図と直接関係は有りませんが、一族に関わる話として次のようなことがありますので少し述べて見ます。 これは大石内蔵助に関わることです。 小牧長久手で討死した輝政の兄之助の子、由之は幼少のため家督相続が出来ず…

境界争いの歴史的考察(3)

中西輝夫 会員 池田家 その3 輝政は慶長十七年八月従三位参議となり、松平と称します。大阪冬の陣の前年慶長十八年正月二十五日(一六一三)姫路城で亡くなり正三位を追贈されました(五十歳)。結果的には嫡子松平武蔵守利隆が家督のうち四十二万石を相続し…

境界争いの歴史的考察(2)

中西輝夫 会員 池田家 その2 天正十年六月二日(一五九二)本能寺の変で主人信長が倒れ、信輝は信長の菩提を弔うために剃髪し勝入と名乗ります。尼崎の池田親子は丹羽長秀とともに秀吉に味方し、六月十三日山崎の合戦には右翼として明智光秀と戦い、秀吉の…

境界争いの歴史的考察(1)

中西輝夫 会員 大阪の陣のあと元和三年(一六一七)摂津三十八万石のうち、尼崎藩五万石で譜代の戸田氏鉄が大津膳所三万石より入城、大阪城西の備えとして新城を築きこの地方も新しい時代を迎えます。戸田氏にいたるまでの池田家、建部家、下間家の閨閥と西…