一の谷合戦における鵯越の逆落し

(八)

義経の実像 一の谷合戦における鵯越の逆落し 梅村伸雄 会員 逆落し 平家物語の諸本が認める逆落しの崖は、大別して延慶本・源平盛衰記・四部合戦状本・南都本・長門本と流布本系(流布本・覚一本・八坂本・百二十句本)の六つに分けられるが、それぞれ表現方…

(七)

義経の実像 一の谷合戦における鵯越の逆落し 梅村伸雄 会員 陽動作戦 矢合わせと決められた七日の卯の刻(午前6時)を待ち兼ねたように合戦が始まった。 塩屋で夜明けを待っていた土肥・田代の軍勢、須磨の鉢伏山の麓に陣を布いた平家の西の手に襲い掛かった…

(六)

義経の実像 一の谷合戦における鵯越の逆落し 梅村伸雄 会員 鵯越での出来事 『歴代皇紀』『一代要記』には福原の南に一の谷があると記されているが、鵯越から見下ろした和田岬は丁度福原の南に当たる。その和田岬に輝く灯炉堂の明かりを指差しながら多賀菅六…

(五)

http://d.hatena.ne.jp/hyogorekiken/20050125 からの続き 義経の実像 一の谷合戦における鵯越の逆落し 梅村伸雄 会員 一 の 谷 世間では、須磨に一の谷と名付けられた地名があるため、須磨の地を「一の谷合戦」の主戦場と考えているが、八百年前に須磨に一…

(四)

http://d.hatena.ne.jp/hyogorekiken/20050113 からの続き 義経の実像 一の谷合戦における鵯越の逆落し 梅村伸雄 極秘裏に鵯越に向かう義経一行 宿原で土肥・田代の軍勢を見送った義経一行、次に現れたのは宿原の西7Km、山田川が播州平野に現れる三津田(三…

(一)

義経の実像 一の谷合戦における鵯越の逆落し(1) 梅村伸雄 はじめに 平成13〜15年にかけて「日本経済新聞」に載った『平家』は、義経が一番誇りとした一の谷合戦を、神戸の地形を無視したため、飛んでもない噴飯物に仕立てている。 また、明年NHK大…

(ニ)

http://d.hatena.ne.jp/hyogorekiken/20050118 からの続き義経の実像 一の谷合戦における鵯越の逆落し(2)三草山より宿原へ 梅村伸雄 2月4日の早朝、未だ暗い都を千騎ほどの騎馬武者と共に出立した義経一行は、集合地と決めた現在の住山字ツドイに集結、…

(三)−2

http://d.hatena.ne.jp/hyogorekiken/20050112 からの続き義経の実像 一の谷合戦における鵯越の逆落し(4)一の谷城 梅村伸雄 さて、平家が築いた難攻不落な一の谷城とは、何処にあって、どのような城であったのだろうか。 『吾妻鏡』『平家物語百二十句』…

(三)−1

http://d.hatena.ne.jp/hyogorekiken/20050114 からの続き 義経の実像 一の谷合戦における鵯越の逆落し(3) 義経の攻撃目標 梅村伸雄 翌6日の早朝、義経はここ丹波路より軍勢を二手に分けた(『平家物語・竹柏園本・その他の諸本』)。『延慶本』には「其…