(八)

義経の実像 一の谷合戦における鵯越の逆落し
                                     梅村伸雄 会員
逆落し
 平家物語の諸本が認める逆落しの崖は、大別して延慶本・源平盛衰記・四部合戦状本・南都本・長門本と流布本系(流布本・覚一本・八坂本・百二十句本)の六つに分けられるが、それぞれ表現方法は異なるものの、いずれも同じ崖の表情を伝えているのは、平家物語の筆者が間違いなく逆落しの崖を見ながら筆を執ったことを教えている。つまり表現方法の違いは、「群盲象を撫ず」の類である。
 先ず上段の小石交じりの砂の崖は勾配28度ほどであり、足場がないため人馬共に滑り降りなければならない。武者たちが如何したら良いかと案じていた時に、別府小太郎が老馬を試みに落としてみることを進言、そこで弁慶が探してきた鹿毛に平家の笠印をつけ、葦毛には源氏の笠印をつけて崖の上から落とし、源氏の笠印の馬が見事に降り立ったのを見て、佐原十郎義連が「人も乗ぬ馬だにも落し候、義連落して見参に入らむ」と旗を高々と揚げて見事に降りたった。

 右の絵は上段の崖における出来事を語り、左の写真は草木が繁茂する上段の崖の現状を伝えている。
 上段の崖から壇の上に降り立った佐原十郎義連が、崖の上から見下ろした蟻ノ戸と呼ばれる岩場は、苔生した勾配34〜35度の急坂、底まで45mほどもある。
 義連「是より下へはいかに思とも叶まじ思止給へ」と申すと、崖の上に控えていた武者たち「下へ落しても死むすとて敵の陣の前にてこそ、死め」とて崖を降りてくる。これを見た義連「三浦にて朝夕狩するに、是より嶮しき所をも落せばこそ、落すらめ、いざや若党」と申し、一門の者どもを引き連れ、義経の周りを固め、目をふさぎ、馬に任せて落とせば、義経「よく見て落とせや、若党」と申して先に落とす。あまりの懸崖にたじろいでいた武者70騎も、負けじとばかりに落とせば、一騎も損なうことなく山の手の仮屋の前に立ち並んだ。
 義経は、山間に勢揃いした武者の30騎に白旗を掲げさせると、鬨の声を上げて山の手の陣に襲い掛かった。
 平家の山の手に陣を布いた武者たち、目の前に展開している鹿松峠の煙りと喚声、どよめきに心を奪われていると、突如、右手の山間から起こった鬨の声と地響き、そして砂煙を上げて襲い掛かる源氏の騎馬武者集団を見出した。
 馬の背に横並びに並んでいた平家の武者ども、この不意の襲撃に肝をつぶした。襲い来る馬群の迫力に対し、個々に戦う術もなく、赤旗を放り捨て我先にと逃げ出した。それも西は鹿松峠での戦、南は西木戸の戦いとあっ
 
て、東方面から大輪田泊へと闇雲に逃げ出したのであるが、ここに平家の軍勢の大きな錯覚があった。後ろには白旗を高々と掲げながら追い迫って来るのは、僅か70騎の源氏の騎馬集団であるが、その白旗の前を必死に逃げている味方の武者を、突然現れた源氏の武者と勘違いをして、次々に増えてゆく武者の数を源氏の大軍が押し寄せて来たと見てしまった。

 このとんでもない錯覚に陥って逃げる味方の軍勢を三草山より眺め、大輪田泊の同士討ちを見下ろしていた山の手の大将教経の姿を、『八坂本』は次のように語っている。
能登殿は一度も不覚し給はぬ人の、今度山の手やぶられて面目なくやおもはれけむ、うす墨といふ馬に乗り、唯一騎、渚を西へ落られけるが、播磨の高砂より御舟にみして、讃岐の八島へ渡らせおはしまし給ひぬ」(つづく)