(26) 親孝行な成経

                                     阪本信子 会員
 鹿の谷事件の首謀者と目される藤原成親は、重盛との深い姻戚関係があり、重盛の懇願で命は助けられ備前流罪となりました。祖父忠盛が良かれと思って結んだ姻戚関係ですが、ここに至っては、重盛の足を引っ張る錘となっています。
 「平家物語」では成親を最初は厚顔無恥にして、出世昇進に貪欲で信義もない、どうしようもない男として、軽蔑して書きながら、流罪になって以後は清盛の悪行の犠牲となり、親子、妻子と心ならずも別れねばならなくなった悲劇の人と変わっています。
 これは「作者の」というより、敗者、死者を許すという日本固有の文化的特質で、清盛でさえ死後には賞賛の言葉が与えられています。
 親孝行な息子の成経は俊寛らと鬼界が島へ流されることになりました。
 作者は父が子を想い、子は父を思いやる親子の情を綿綿と涙ながらに何ページにも亘って書き、読む人はもらい泣きをして彼らの犯した罪を忘れ、清盛があたかも無実の彼らを罪に陥れたが如き錯覚に陥ります。罪を犯したからこういう結果になったことを忘れてはなりません。
 親孝行な成経は舅教盛の働きで命が助かると知るや、今度は自分はどうでもよいから父の命を助けてくれと、教盛に頼む厚顔しさです。「阿古屋の松」という章段でも父を恋い慕う成経を書いていますが、当時の庶民には共感を与えるかもしれません。
 しかし、作者が力をいれている割に、私たちが悲痛感どころか可笑しさを感じるのは、現代人の親孝行感覚が大分希薄になっているせいかもしれません。
古典を読むときのネックはここにあります。(つづく)