(2005/05/14)尼崎の歴史散歩
尼崎は昔から京の玄関口であり、維新に至るまで海陸の要衝として譜代大名が護っていた
- 主催 兵庫歴史研究会
- 開催日 平成17年5月14日(土)
- 集合場所 阪神尼崎駅北側噴水前
- 集合時間 13:00集合(小雨決行)
- 講師 尼崎市立地域研究史料館々員
- 参加費 500円(自由参加)
- 問合せ先 梅村伸雄 ℡ 078-592-1621
- 日程
- 探訪地の概要
- 図書館前広場 尼崎城の歴史を語る=荒木村重の謀反から始まり、大坂の陣の後、徳川幕府は大坂城を西国支配の拠点とし、大坂城を中心に、その周りに幕府領、旗本領、譜代大名領を集中させる転封政策をとった。なかでも尼崎は大坂城の西の守りを固める重要な位置にあり、譜代大名建部政長から戸田うじかね氏鉄、青山よしなり幸成、松平ただたか忠喬へと移り、7代にわたり襲封して明治維新を迎えた。
- 桜井神社 尼崎藩主松平氏の祖、桜井内膳正信定を祭神とする。最後の城主忠興は西南戦争の戦傷者を看護されたところから、日赤の誕生を見る。契沖誕生の地とされる。
- 本興寺 文正元年(1466)建立された尼崎最大の寺院。室町時代に日隆聖人が開いた寺院で、法華宗の四大本山の一つであり、日蓮聖人の護身刀「数珠丸」や重要文化財がたくさんある。細川晴元の陣所。除夜の鐘で有名な鐘楼がある。
- 尼信博物館 尼崎藩主桜井松平ゆかりの重文「太刀銘守家」を初めとして貴重な資料が展示される他、琴浦城と呼ばれた美しい城の復元模型が展示されている。
- {ほうおんじ}法園寺 織田信長生え抜きの武将であり、さらさら峠で有名な佐々成政が、秀吉に詰腹を切らされた寺。「このころの やくまうさうを 入れをきし てつはち袋 今やぶるなり」
- 大覚寺 創建は推古13年(605)聖徳太子が日羅上人に命じて長洲に建立された[燈炉堂]が起源と言われる。奈良唐招提寺の末寺であり、琵琶法師覚一検校ゆかりの寺と言われる。足利二代将軍義詮が南朝討伐のためにこの寺を本陣として150日余り滞在し、政治、経済、軍事、文化の権力を掌握していた。閻魔信仰に基づく閻魔十王像が再刻されている。
- 貴布禰神社 代々尼崎藩主の崇敬を受けていた。尼崎の人は海運や漁業を生業としていたことから、同社は航海の安全や漁業の神としても信仰されてきた。夏祭りには、各町内からだんじりが出され、その勇壮なさまは、夏の風物詩になっている。