(88)判官贔屓が生んだ頼朝批判

                              阪本信子 会員

 非情であることは武士の武士たる所以で、宿命というべきかもしれませんが「過ぎたるは及ばざるが如し」で、頼朝は弟たちを殺し、公暁は叔父実朝を討ち、源氏は我と我が手で源氏政権を葬っています。血で興り血で亡んだのが源氏でした。
 一方、平家では清盛政権の最盛時でも異母弟頼盛との確執は露骨に表れていますが、源氏のように血で血を洗うような事態に至っていないのは、京都に暮らす平家に武士的なる因子が薄くなっていたからでしょう。
 一般に頼朝には非情、冷酷と言うレッテルが貼られていますが、特に弟義経の処遇の過酷さと並んでエゲツなさではヒケをとらないのが義仲に対するものです。
 多くの日本人は弱者に対する同情から彼らを美化し、勝者を倫理的に批判します。
 好き嫌いで歴史上の人物を論ずるのはどうかと思いますが、「判官贔屓」という言葉には「敗者への哀惜」と同時に「勝者への批判」の意味も込められています。私の「判官贔屓」の対手は義仲で、同時に頼朝批判なのですが、それは多分に感情的であり、頼朝の歴史的役割、功績を無視するものではありません。
 確かに頼朝は日本政治史においても偉大な変革者だったかもしれません。しかし、ミーハーの私としては、判官贔屓に身をゆだね、「義仲さま」に浸っていたいのです。(つづく)