(78)目の届かない所で育つ反対勢力

                              阪本信子 会員
半年前福原へ移った時、清盛は以仁王に与力した寺院に対して積極策を打ち出しましたが、それは不徹底、中途半端で古い伝統とか、宗教的権威は温存されたままでした。
 やがて、遷都には皇族からも平家一門からも反対の声が上がり、怨嗟の声は平家と友好的な比叡山からも上がってきました。
 元の都に返さないならば、山城、近江両国を押領するとまで強硬に言わしめています。
 遷都によって天下を鎮撫し、平家政権を強化しようという清盛の目的は全く果たせないまま、それどころか平家の目が届かないのを良いことに、富士川の敗北も手伝って反平家勢力が徐々に育っていたのです。
 特に近江源氏美濃源氏の動きは著しく、円城寺、延暦寺の大衆と手を結んで、遠い福原からでは指令の徹底の程も疑わしいものです。
 「玉葉」では還都の理由として、東国の動乱、延暦寺の要請、高倉上皇の病状悪化、清盛の反省の四点を挙げています。
 何れも否定できませんが、最終決定したのは清盛の意思であり、兼実の考える反省というような消極的なものではなく、政策転換の必要を感じ、次なるステップへの積極的決断だったのです。(つづく)