(77)戦略家清盛の決断、都帰り

                              阪本信子 会員
 源氏は戦わずして平家に勝ちました。
 敗走軍は無統制で、陣形を整えることも出来ず、てんでに都をさして敗走した。平家の威信は地に落ち、逃げ帰った兵士の口から、その負けっぷりは広まり、平家を軽んじるようになり、今までは平家の命令に従順であった幾内でさえ反抗的になってゆきました。
 ほんの少しの情報でも平家に不利な噂となってひろまり、近江で山下(山本)義経が年貢を抑える行動にでると、近江は頼朝の手に落ちたという噂が流れます。
 こういう空気が作られると何をやってもうまく行かないものです。
 敗戦の責任者の処分もなされないまま、清盛は福原を引き上げ旧都に戻る決断をしました。
 「玉葉」にはこの頃の清盛をみて「気色自若として敢えて驚きの色なし、酔うが如し、平家の命運尽き終わんぬるか」(表情は喜びも怒りも歎きもなく、無表情で酔っているようであった)と書いている。
 私たちは過ぎた歴史を客観的に見て分析できるが、この文章を見ると、当時の人たちにも平家の亡びを予感できる材料として、富士川の敗戦が考えられたのかもしれません。
 しかし、清盛は起死回生の策を胸に、都帰りを決行したのです。自分の余命があと3ヶ月足らずとも知らず。 (つづく)