(76)立つ鳥に後を濁して平家逃げ

                              阪本信子 会員
 撤退命令が出て、心はもう京都へ飛び、逃げ腰の平家勢です。
 影にも怯える彼らを襲ったのは敵の奇襲ではなく、水鳥の羽音でした。
 源氏方の武田信光は抜け駆けの功をねらい、平家の後方に回り込もうとしたところ、十月下旬のことで、群れていた渡り鳥が一斉に飛び立った。
 これを敵襲と錯覚し戦うことなく我先にと逃げた、というのが有名な富士川の合戦の結末です。
 「山槐記」には「戦わんと欲するの心なき間、宿の傍らの池の鳥、数万にわかに飛び去る。其の羽音雷を成す。官兵皆軍兵寄せ来ると疑い、夜中に引き退く、上下競い走る」と書き、街道筋は勿論のこと、都でも笑いの種になっています。
 しかし、もしこの時撤退命令が出ていなかったとしたら、却って敵の接近を疑い、警戒を強める武士もいた筈です。
 「平家物語」にはみっともない姿で逃げる様子を誇張した言葉で書いているが、それは類型的、観念的で、三草合戦、くりからの戦いなどにも同じ表現を見ることができます。
 とにかく、京都へ辿りついた時、維盛は10騎、忠度は20騎を従えたのみで、平家の手の者はかき集めても4〜500騎しか帰っていなかったのですから、清盛が直ちに第二次追討軍を編成しようとしても不可能だったというのは当然です。
 清盛の怒りは凄まじく、「平家の恥、自分の恥を世にさらす」と維盛が福原に入ることを許さなかった。
 「水鳥の羽音が夢の覚めはじめ」となり、平家の悲劇はスタートします。 (つづく)