(97)死んでも死に切れない

                              阪本信子 会員
 人が死ぬときの最後の言葉に嘘は無いと言われますが、史実を調べてみると、後世の人に都合の良いように伝えられているケースが多いのです。
 清盛の遺言は宗盛によって後白河法皇に伝えられ、九条兼実の日記「玉葉」に書かれていて、信慿性は高いものです。
 この遺言によって、当時平家の置かれている危機的な立場を清盛は適確に把握していたことがわかります。
 平家物語では「自分は十分に栄華を極め心残りはないが、ただ一つ頼朝の首を見ないで死ぬのが残念である」と恐ろしい言葉を残していますが、これは『玉葉』に書かれている「我が子孫一人生き残る者と雖も、骸を頼朝の前に曝すべし」と同じ内容で、清盛の死んでも死に切れない、成仏もできず出来ることなら亡霊となってもこの世に魂を残し、子孫を守りたいという思いが伝わってきます。
 富士川の合戦以来、平家株は見る見る下落してゆき、1ケ月半前には平家の権威の裏づけとなっていた高倉上皇崩御
 あとを継ぐ宗盛の頼りなさを思うとき、海千山千の根性悪の後白河を相手に、果たして平家を持ちこたえてゆけるかどうか。親の贔屓目から見ても悲観的です。
 頼朝を生かしておいたのも「後悔先に立たず」です。
 死に行く清盛には平家の末路が見えていたのでしょう。
 その心如何ばかりか。察してあまりある巨人の最期です。   (つづき)