(96)極楽往生対策を教えます

                              阪本信子 会員
 平家作者は「祇園精舎」に始まり、奢れる者、猛き者、悪行の人として清盛を語り、その結果の悲惨な死に様を書いている「つもり」です。
 しかし、現代人がこの章を読んだとき、作者の意図に反して偉大な人、清盛像を強烈に印象付けられます。
明治34年,高山樗牛の「平家雑感」では清盛を「古今の大丈夫にてありけれ」と賞賛し、以来多くの平家小説は殆どこれに倣っています。
 それまでは作者の意図する悪人清盛像が定着していました。皇室至上主義からみれば清盛は悪以外の何ものでもなく、仏教的に考えても念仏の一遍も唱えない死は地獄ゆきは確実でしょう。
 彼の死因は熱病と伝えられ、人々は去年の暮に南都を焼いた報いだ「すわしつることを」(やったぞ)と囁いた。
 熱病の経過は冷水に清盛を浸したら湯になったとか、あり得ないオーバーな表現で執拗に語られます。つまり焦熱地獄に生きながら堕ちて悶絶躃地して死に、悪いことをすればこういう末路を辿るのですよと反面教師的な仏教説話にしています。
 おまけに念には念をいれて、北の方時子が無間地獄から清盛を迎えに来た夢を見るに及んでは、地獄ゆきは決定です。
 しかし、釈迦は極楽を説いてはいませんし、地獄も人生そのものであるといっているのです。
 源信僧都はどういう意図で地獄極楽を具体的に創作したのでしょうか。全く人騒がせな論理です。 (つづく)