(95)「平家物語」は死に方見本市

                              阪本信子 会員
 平家物語は死の文学ともいわれているように、いろいろな死に方が書かれています。
 大きく二つに分けて貴族的な死と武士的な死です。
 これは身分としての貴族と武士という意味ではなく、念仏のある死と念仏のない死、極楽往生を願う死と来世を考えない死であり、そしてこれは重盛の死と清盛の死に象徴されています。
 武士の死の論理は「死ぬるは案の内」(死ぬのは当たり前)、「生きるは存の外」(生きているのは僥倖である)でした。
 貴族たちの論理は「死は異常なこと」で、「はかない」とか「あわれ」で片付けられ、生きるのが普通のことでした。
現代も同じように生きるのが当然とされ、とにかく生きることが最高であるという風潮があります。
 第二次戦争の時、あまりにも名誉ある死を重んじ過ぎた反動で、「命は鴻毛の軽き」から「地球より重い」ものに変わり、一日でも長生きしたいと思うようになりました。
 しかし、これまで現代の多くの人々は、一生のうちに生きるか死ぬかの極限状態を一度も味わうことなく終えていましたが、昨今の不穏な世情を考えると残念ながら今やそれは神話になっています。明日は被害者にならぬ保障はありません。
 ただ長生きするだけでなく、その質が問われている時代ではないでしょうか。
 「平家物語」は死について、ひいては現在の生き方についても考えさせてくれる文学です。(つづく)