(90)スター誕生、義仲

                              阪本信子 会員
 義仲の父義賢は兄義朝の息子義平に殺され、その時2歳だった義仲も殺される所を畠山重能に助けられたという血族相克の悲運を味わっています。つまり義仲と頼朝は従兄弟の関係にあり、これまた相争うというのですから、源氏という氏族の体質の厳しさというか業は哀しいものです。
 私たちは後の頼朝を見て両者の力関係を推し量ろうとしますが、当時の頼朝とて大勢いる源氏の一族の一人にすぎず、令旨が大量発行されていることもあり、野心のある者全てにチャンスはありました。
 義仲は頼朝が山木兼隆を討って20日の後に市原で平家方の笠原頼直を破ります。頼直は平等院の戦いに功をあげた伊那谷の武将で、機先を制して義仲を討つべく木曾へ向ったところ、市原で敗北し、逃れて親族の城氏を頼ります。
 城氏といえば越後平氏といわれるほどの横綱クラスの大勢力を持ち、義仲如きは十両にも及ばぬほどの差がありました。
 本音は逃げたいくらいだったでしょう。
 しかし、坐するにも京都へ向うにも現在の戦力では覚束なく、城氏に対抗するために父義賢の本拠地であった上野国多胡荘で兵を集めようと赴いた。多くの豪族がそれに参集したが、頼朝の勢力は上野にも及んでいて衝突が必至となり、ニケ月にして信濃に帰ります。
 そして、横田河原の合戦の勝利は頼朝の富士川の合戦と同じく、義仲を全国メディアのスターにのしあげたのです。
そのスター誕生は挙兵して僅か10ケ月の後でした。(つづく)