(91)中小企業の税金対策は義仲への与力

                              阪本信子 会員
 北陸は多くの群小武士団が各々独立的に対峙し、また相互の連携によって共同戦線をはり、他勢力の侵攻を防いでいました。
 彼らは古来よりの在地武士でなく、平安中期以後赴任してきた官人が定着したケースが多かったようです。
 同じ北陸でも越後においては平氏の流れをくむ城氏という大豪族が地位を確立しており、越後においてはこれに匹敵するものはなく、越後平氏として群小武士団を支配下に置き、武士の棟梁的な位置を占めていました。
 義仲のことは清盛の耳に入っていますが、彼は頼朝ほど警戒心を抱きませんでした。それは城氏をアテにしていたからで、富士川の敗戦でがっくりきている清盛に、惣領城助永は胸をたたいて「北陸はお任せ下さい」と頼もしい言葉をかけています。
 そして、ドングリの背比べのような群小武士団が、義仲の呼びかけを渡りに船と彼を盟主に頂き、城氏をはじめ国衙への税金不払い同盟を結成するに至ると、義仲と城氏の対決は避けられなくなります。
 この頃は飢饉の真っ只中で、貢租の重さは一入で生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされ、年貢未進はやむ終えない措置でした。
 このときタイミング良く義仲から貢租を納入する代わりに、その何分の一かをわが方へ戦費として収めてくれとの申し入れがあり、それは納入者の負担を軽減するものであり、「皆で渡れば怖くない」と同盟が組まれたのです。 (つづく)