(93)大軍必ずしも利あらず

                              阪本信子 会員

 義仲は依田城に籠っていると信じて、城軍はひたすら依田城へと向います。
戦いの当日は6月13日(太陽暦では7月26日)、カラカラに乾いた炎天下の長野への狭い道を2万騎プラス荷駄、人足が疲れ果てた姿でぞろぞろと進んで行く姿は、もう負け体です。
 しかし、義仲はその時依田城にはいませんでした。
 前日に千曲川河畔に到着し、隠れて待ち伏せしていたのです。
 大軍が姿を見せ、小競り合いが続きますが、義仲は井上光盛の星名党に赤旗を持たせ、城軍の後ろに廻らせました。
 城軍は味方が応援にきたと喜びましたが、星名党は本陣に近づくと白旗を掲げ攻め込みました。
 油断していた城軍はあっけなく打ち崩され、大将助職は2、3カ所の傷を負いながら越後をさして逃げ延びたが、途中の落ち武者狩りによって討たれた者も多かったでしょう。
 依田城と横田河原は25キロほど離れているだけで、義仲軍の疲労は遥かに少なく、義仲は炎熱を逆手にとり、少勢のメリットを十分に生かした見事な勝利です。少ない軍勢で大軍を破るというのは歴史上そんなあるものではありませんが、ヒーローと言われる人には殆どそういう実績があります。
 義経しかり、桶狭間今川義元を討った織田信長の戦いも似ているとは思われませんか。 
 義仲快心の戦いはまだまだ続きます。    (つづく)