(81)後白河法皇復活は夢幻か

                              阪本信子 会員
 高倉上皇の病状が悪化すると、代わって後白河法皇の復活が貴族の間に噂されるようになりました。それには美濃、讃岐両国を法皇分国として差し上げるというおまけまでついています。
 前関白藤原基房が流罪先から戻ってくるとその信憑姓は高まり、貴族たちは後白河政権の復活を待ち望みますが、清盛には些かもその気はなく、それどころか、僅かに残る側近達を翌年早々には追放、解官で一掃し、万一法皇が復活してもそれを助ける側近はもう誰一人として残ってはいなかったのです。
 都を元にもどしたことを貴族たちは清盛の妥協と解釈したのですが、清盛の還都後の行動をみるとそれはまったくの誤解であり、かつての後白河政権時代の貴族の既得権益復活は実現することのない夢幻に終わりました。
 それをダメ押ししたのはその年も押し迫った12月28日に行われた奈良攻撃です。
 先ず12月11日には円城寺攻撃。金堂を残し全焼しました。「百錬抄」によると、「金堂にも火が燃え移ったが、平盛俊が消火に勤め焼け残った」これは盛俊の個人的心情であろうと私は思います。
 しかし、「平家物語」は三井寺攻撃については時期も以仁王の変の直後で、実際より6ケ月以上も早い時期とし、寺院は跡形もなく焼け落ちた、と書いています。
 そして、続いて清盛の怒りのような炎は南都の寺々を紅蓮の炎で包みこんだのです。 (つづく)