平家浪漫

(157) 俺は偉いんだぞ!

阪本信子 会員 平家を九州から追い出した主戦力は緒方維義で、彼は「恐ろしき者の末なり」といわれていた。 彼の先祖大神維基は、高千穂大明神(蛇の化身)が身分高い男に姿を変え、長者の娘に通って生まれた子であり、その末裔が緒方荘に在住して大神姓から…

(156) 清盛の贔屓が生んだ格差

阪本信子 会員 清盛は平家の経済基盤である日宋貿易の拠点である九州に副都構想をもっており、現地武士を組織し、特に膨大な所領を持つ宇佐八幡宮の大宮司公通とは親密な関係を持っていました。 つまりこの地方で力を持っている者達は、ほとんど清盛によって…

(155) 上昇は長期、下落は短期

阪本信子 会員 平家の落ち行く先は九州です。たしかに昔は良かった。 しかし、清盛亡き後どんなに変わったか、現地から帰った貞能の現地調査報告も無視した、というより此処しか思いつかず、無視せざるを得なかった平家の選択を、ノーテンキだとか、想像力欠…

(154)ホームレス平家のスタート

阪本信子 会員 都を捨てた平家がアテにしていたのは九州でした。 九州を金城湯池と考えたにはそれなりの理由があります。 清盛の祖父正盛が九州皇室領の荘官として赴任以来、西の平家として権力を広げ、父忠盛も九州鳥羽院所領神崎の別当として、宋との密貿…

(153)今も宝剣は海底に

阪本信子 会員 後白河法皇はしたたかに占いを利用し、高倉天皇の四宮尊成親王を天皇にしました。 とにかく寿永二年八月二十日、後鳥羽天皇践祚により皇位継承問題は一抹の後味の悪さを残して落着した。 ここに二人の天皇が並び立ち、「天に二日あり」という…

(152) 占いは三度目の正直?

阪本信子 会員 安徳天皇が平家と共に京を出て西へ去った後、新天皇を立てることに決まりましたが、誰にするかが次の問題です。 高倉天皇の皇子のうち京に残されていたのは三宮と四宮の二人でした。後白河法皇は四宮を望まれていたのです。 しかし、公平を示…

(151) 神の心は権力者の心

阪本信子 会員 公卿会議での新天皇擁立についての論議は茶番、見せ掛けであり、後白河法皇の計画実現への手続きに過ぎませんでした。 しかし、念には念を入れて公平に見せかける為に神祇、陰陽寮で占わせ神のご意志を問うという一幕を演じています。 しかし…

(150) ご都合次第の前例主義

阪本信子 会員 平家が安徳天皇を連れ、三種の神器を持って京を出たため、困った問題が起きました。 「天皇不在の都は都に非ず」と言う認識があり、又、法皇の権威の裏づけとなるのは天皇の権威であることからも、早急に何とかせねばなりません。 平家が意図…

(149) 性格ブスの美女、京都

阪本信子 会員 平家の手から比叡山に逃れられた後白河法皇は、ただちに平家追討の院宣を義仲に与え、義仲は意気揚々と荒れ果てた都に入りました。 義仲の入洛は平家が都を出ていった3日後でした。 この頃京は飢饉で餓死者も多く、平家がいなくなっては無政府…

(148) 都落ちの結びは文句なしの美文

阪本信子 会員 平家が到着した福原の旧都は荒れ果て、かつての姿はありません。これは平家自身の今の姿でもあります。 平家一門が都を発つ時はあわただしく、感傷に浸る暇はなかったが、ここ福原では名残を惜しみ、昔を回想し、行く末を思いやり涙にくれまし…

(147) 「文弱だから負けた」は結果論

阪本信子 会員 大体歴史を見て、滅び行くものは大方優雅文弱の徒であり、代わって台頭するのは、大よそ粗野にして意欲的な人物ということになっている。 都落ちのエピソードは種々書かれているが、一首の歌に生涯の面目をかけた忠度、名器の世から失われるの…

(146) 皆で渡れば地獄も怖くない

阪本信子 会員 都を落ちた平家は先ず福原に着きました。 ここで宗盛が皆に言った言葉は、確かに条理は尽くしているとはいえ、愚痴か泣き言に聞こえます。 たとえ空元気のウソ八百でも、こういう時は士気を鼓舞し、勇気付け、自信を持たせる為に威勢のよさが…

(145) 官僚の処世術

阪本信子 会員 勅撰集の撰進を拝命した俊成のもとへは、自薦他薦の歌がひきもきらず持ち込まれ、入選希望者からは沢山の贈り物も届けられていたでしょう。 こんな時に平家都落ちとなりました。 「平家物語」には忠度のエピソードが載せてありますが、私家集…

(144) 歌の世界も俗臭紛々

阪本信子 会員 平忠度は都を出るにあたり、師事していた藤原俊成が当時勅撰集の撰進を命じられていた為、自分の歌を一首なりとも入れて下さいと歌集を託して西へ去りました。 あの当時の人にとって勅撰集に自分の歌が入るということが、どれ程名誉なことか。…

(143) 朝敵はそんなに悪いの?

阪本信子 会員 残念ながら、平家の貴族化は進んでおり、平治の乱以来の平家繁栄の中で、戦いの経験者は少なくなり、生まれながらに貴族文化の中で育ち、文化教養面では平均水準以上の優れた人物が輩出していたと思います。 貴族たちは文の占有者は自分達だと…

(142) 妻子同伴で戦えますか?

阪本信子 会員 数ある妻子の別れの中で、作者が特に維盛の場合を取り上げたのは、後に維盛が熊野沖で入水自殺する原因が妻子への煩悩、妄執によるものと考えているからで、その為には彼の家族愛を特記する必要があったのです。 戦乱というのは生木を裂くよう…

(141) 都に残りたい妻

阪本信子 会員 都落ちの時、平家公達の中には妻子を同伴するものもあり、また残してゆく者もいました。「平家物語」では残し組の維盛について妻子との別れを長々と語っています。 彼は25歳、宮中でも大評判のイケメンで、その容姿は「建礼門院右京大夫集」の…

(140) 別れは幸福へのスタートかも

阪本信子 会員 宗盛は7月23日全軍に引き上げを命じました。口上は「京で戦う」というものです。 しかし、京は攻めるに易く、守るに難しい地で、何箇所もある出入り口に兵を配するとしたら、どれだけ多くの兵員を要するか、現在の平家では迚も無理です。 宗…

(139) 一世一代の決心も宗盛らしい、都落ち

阪本信子 会員 木曽義仲、近江に至るとの報に足元に火のついた平家の驚き、慌てぶりは当然ですが、都中パニックになり、一寸した噂、風聞がそれを加速させます。 伊賀、丹波、淀、宇治からは反平家勢力が迫るとの報に、作戦会議を開いても肝心の兵力が集まら…

(138) 捨て身戦法も役立たず

阪本信子 会員 平家は出来るだけの事はやったと思いますが、落ち目の風速は止めようもなく、恥を忍んで比叡山へ支援を乞うても、かえって足元をみすかされ、憐れみを買っただけでした。 驚いたことに、この時申し出たのは「平家の氏神を厳島神社から日吉神社…

(137) 二代目は辛いね

阪本信子 会員 日本歴史上、大氏族の滅亡は多々ありますが、ワンマン・カリスマ指導者によって短期間の間に覇権を手にした政権は、往々にしてその指導者の死をもって崩壊現象を起こしています。 織田家、豊臣家、平家しかりですが、武田家もその部類に入るで…

(136) 信子随筆 「命あっての物だね」

阪本信子 会員 瀬島龍三氏の死去が伝えられた。 山崎豊子さんの「不毛地帯」「沈まぬ太陽」の主役は彼をモデルにしたということでも有名ですが、一方ソ連との停戦交渉のとき、日本人捕虜の使役などについて、ソ連に有利な密約を結んだとの疑惑もあり、評価相…

(135) 信子随筆 「昨日のペット、今日は凶悪獣」

阪本信子 会員 現代では普通の人がとんでもない犯罪をおこしています。 その原因を社会のせいにする人もいます。それはある程度は肯定しますが、やはりその殆どは彼自身の責任に負うところが大きいと思います。 カミツキガメの凶暴性も彼自身の性格に帰する…

(134) 信子随筆 「馬哀歌」

阪本信子 会員 「平家物語」には馬に関するエピソードが沢山あります。 平知盛は一の谷合戦において、愛馬に乗り二十余町を泳いで沖の船に辿りつきました。舟には馬を乗せる余裕もなく、阿波民部は敵に奪われるよりはと殺そうとしますが、知盛は「我命を助け…

(133) 信子随筆 「最後の言葉」

阪本信子 会員 論語に言って曰く「人のまさに死なんとするや、その言うこと善し」死に際に遺した言葉はその人の真実の姿であるというのですが、見方を変えるとその人の一生をかけた最後の大嘘といえる場合もあるでしょう。何れにせよ、その人の「人と成り」…

(132) 信子随筆 「前例」

阪本信子 会員 応仁の乱の最中に山名宗全はある身分の高い貴族に「貴方方公卿が何事につけ先例先例というのは間違っている。 先例というのは平安時代には平安時代の例があり、鎌倉時代には鎌倉時代の先例があるように、もともと時代と共に変化するものです。…

(131) 信子随筆 「左利きと右利き」

阪本信子 会員 私の幼い頃、左利きは徹底的に矯正されていました。左利きは病気なのかと可哀相に思っていましたが、これは単に道具の使用に不便だからとの理由での矯正だったらしい。 しかし、現在では左利き用の道具は揃っており、なんら不自由もなく強制的…

(130) 信子随筆 「白髪三千丈」

阪本信子 会員 中国的言い回しに「白髪三千丈」なる表現があります。出典は李白の『秋浦歌』で楊貴妃の側近により長安を追われ、はるか長安を想い大楼山上より眼下の秋浦江を臨んで読んだもので、「愁いによって斯くの如し」と続きます。 日本人の控えめ大好…

(129) 信子随筆 「槿花一日自ら栄を為す」

阪本信子 会員 散歩の途中、あちこちの庭に咲いている盛りの槿花(むくげ、木槿)の花を見て、ああ夏だなあと思う。夾竹桃もそうですが、こちらは何となく夏らしい暑苦しさがあり、猛暑の到来を知らせてくれます。 槿花は韓国の国花で、無窮花(ムグンファ)…

(128) 信子随筆 「『うつ』もまた楽し」

阪本信子 会員 明治44年夏目漱石は和歌山の講演で「文明開化に流されまいとふんばっていると神経衰弱になる」と話しています。 神経衰弱という病名は私の幼い頃にはしょっちゅう聞きましたが、現代の医者なら「うつ病」と診断するでしょう。 天保のころには…