(153)今も宝剣は海底に

                              阪本信子 会員
 後白河法皇はしたたかに占いを利用し、高倉天皇の四宮尊成親王天皇にしました。
 とにかく寿永二年八月二十日、後鳥羽天皇践祚により皇位継承問題は一抹の後味の悪さを残して落着した。
 ここに二人の天皇が並び立ち、「天に二日あり」という異常事態となります。
 九条兼実は「希代の珍事なり」と書いているが、神器なく事後承諾の形の天皇踏祚をフォローするために、この時より朝廷は神器奪還に必死となり、頼朝に厳命します。
 平家滅亡の功績をあげながら、頼朝が義経三種の神器のうち剣の奪還に失敗したことを重く見たのも、義経の神器に対する軽い認識を問題にしたからです。
 後に後鳥羽天皇鎌倉幕府討伐の為、承久の変を企てたのも、神器のうち剣(=武力)を持たない天皇というコンプレックスを払拭する為であったという説も生まれています。
 しかし、剣を欠いた天皇の即位を認めたことは、見方を変えると神器権威の失墜につながり、「神器が天皇を守っている」から「天皇が持っているから神器」という逆転志向を生んでいます。
 自分は宝剣の沈んだ場所を知っていると申し出た厳島神社宮司佐伯景弘が宝剣求使となり、四年あまり捜索したが、終にみつかりませんでした。
 今でも壇ノ浦のどこかに宝剣は眠っている筈です。 (つづく)