(154)ホームレス平家のスタート

                              阪本信子 会員
 都を捨てた平家がアテにしていたのは九州でした。
 九州を金城湯池と考えたにはそれなりの理由があります。
 清盛の祖父正盛が九州皇室領の荘官として赴任以来、西の平家として権力を広げ、父忠盛も九州鳥羽院所領神崎の別当として、宋との密貿易に精を出し、相当あくどいやり方も厭わず、その財をもってせっせと有力者に奉仕することによって、中央にジワジワと進出しています。
 大宰府は西の朝廷とも称される九州全域の統括機関ですが、清盛が実質的大宰府のトップである大宰大弐になったのを手始めに、平家の九州支配は着実に進み、ついで頼盛が大宰大弐に就任し、日宋貿易の利益を掌握するに至り、九州の在地領主の大半は平家の傘下に入ることになります。
 だから、平家が九州をめざしたのは無理も無いことだったのです。
 しかし、九州では清盛の死ぬ1ケ月前頃から、反平家勢力が頭をもたげはじめ、それを2年がかりで鎮定して帰った平貞能が口を極めて、昔の九州ではないと説得していますが、天皇を連れ、三種の神器をもっていることに余程自信があったのか、それとも他に考えられるのは、平家を引き受けてくれるのは此処しか無かったのか、実に杜撰な一族の移動で、案の定、三ヶ月後には九州を追い出されています。
 ホームレス平家のスタートです。      (つづく)