(147) 「文弱だから負けた」は結果論

                              阪本信子 会員
 大体歴史を見て、滅び行くものは大方優雅文弱の徒であり、代わって台頭するのは、大よそ粗野にして意欲的な人物ということになっている。
 都落ちのエピソードは種々書かれているが、一首の歌に生涯の面目をかけた忠度、名器の世から失われるのを恐れ、琵琶「青山」を出発前に御室に返した経正、妻子との別れに涙を絞り、後にはその妄執ゆえに熊野沖に入水した維盛、何れも文弱の徒といわれますが、だからと言ってそれだけが原因で平家は亡んだというわけではありません。
 確かに戦いに及ぶかもしれない逃避行に非戦闘員の妻子をぞろぞろ連れているのは非常識で、戦闘訓練も不足気味、ハングリーに欠ける点では東国の武士に負けるのは当たり前です。
 しかし、これは飽くまでも結果論であり、例えば文化的政権といわれる室町幕府は200年以上も存続しており、総て早期に滅亡したわけではない。平家も政権掌握には武力を必要としています。
 つまり、事実と法則は区別すべきであるのに、武家勢力の勝利という事実をもって、法則にしてしまったということではないのでしょうか。
 そして、何よりも私が言いたいのは、成功が何故人生の目的でなくてはならないのか、人間は是非とも成功しなければならないのかと言うことで、敗者こそ今の我々に必要なことを教えてくれるものではないかと思っています。   (つづく)