(148) 都落ちの結びは文句なしの美文
阪本信子 会員
平家が到着した福原の旧都は荒れ果て、かつての姿はありません。これは平家自身の今の姿でもあります。
平家一門が都を発つ時はあわただしく、感傷に浸る暇はなかったが、ここ福原では名残を惜しみ、昔を回想し、行く末を思いやり涙にくれました。
平家作者は散文というより、韻文といってよい美文でこれを綴っています。
海人の焚く藻の夕煙、尾上の鹿の鳴く声、渚によせる波の音、袖に映る月の光、千種にすだくきりぎりすなど、今までは何気無く見たり、聞いたりしていたものが、今では一つ一つ胸に沁みてくる。
文句なしに読む人を感傷に浸らせてくれます。
これは伊勢物語、文選、白氏文集、和漢朗詠集よりの引用も多いのですが、「文選よみ」という手法も駆使し、ここまでやれば、もう創作といえるでしょう。
「昨日は東関の麓にくつばみをならべて十万余騎、今日は西海の浪に纜をといて七千余人、雲海沈々として、青天既に暮れなんとす。」
「寿永二年七月二十五日に平家都を落ちはてぬ」
もう何もいいません。文句なしです。 (つづく)