(155) 上昇は長期、下落は短期

                              阪本信子 会員
 平家の落ち行く先は九州です。たしかに昔は良かった。
 しかし、清盛亡き後どんなに変わったか、現地から帰った貞能の現地調査報告も無視した、というより此処しか思いつかず、無視せざるを得なかった平家の選択を、ノーテンキだとか、想像力欠如というのは気の毒というものです。
 平家の人たちは九州へ行けば何とかなると思っていました。
 しかし、内裏を作るどころか現地では皆非協力的で、親身になってくれるのは原田種直くらいという頼りなさです。
 弱り目に祟り目で、豊後国知行国主藤原頼輔はこれまで平家にすりよることで出世したのですが、情勢が平家に不利と見るや、大宰府に落ち着こうとする平家の追い出しを緒方維義に命じました。
 豊後の宇佐八幡宮は平家の下にあり、膨大な宮領を有し、緒方はその荘官の一人でした。
 緒方は九州において最初に反平家を表明した者で、平家への逆風が如実になってくると、大勢の者がその下に集まり、主筋の宇佐八幡を凌駕する一大勢力となっていました。
 それに目をつけたのが頼輔だったのです。
 もう此処まで来ると、平家への逆風は止まるどころか、益々風速を増し、平家は安住の地を求めて再び流離の旅がはじまります。 (つづく)