(131) 信子随筆 「左利きと右利き」

                              阪本信子 会員
 私の幼い頃、左利きは徹底的に矯正されていました。左利きは病気なのかと可哀相に思っていましたが、これは単に道具の使用に不便だからとの理由での矯正だったらしい。
 しかし、現在では左利き用の道具は揃っており、なんら不自由もなく強制的矯正は必要とされていませんし、それどころか左利きは器用の証明にされ珍重されています。昔の左甚五郎はその代表であり、サウスポーの野球選手も大勢います。
 人間が二本の手を持っている以上、どちらを使おうが差し支えない筈です。古代は左、右利きいずれもほぼ同数だったらしい。しかし左利きの人は戦う時、心臓が無防備となるので、だんだん減っていったというのですが、だったらそれなりの防具を考案すれば解決できることですが、日本の大鎧は右利き用のもので、やはり左利きには不親切な社会です。
 パーキンソンの法則によれば、ビュッフエスタイルのパーティで、入って来る人は大抵左側から廻るそうですが、これは出来るだけ心臓を壁に近く寄せる方が安全という自己防衛本能によるものだそうです。
 また、左右に関係のないことですが、驢馬は断崖スレスレの所を歩き、真中を歩かせようとしても危険な路肩を選んで歩くそうです。墜落するのは恐ろしいけれど、崖の方から敵が襲ってくる心配がないからだと、これは驢馬に代わって人間が考えた理屈です。
 何れにせよ生物の本能時計が彼らの行動のパターンを作るのですが、それの優劣は人間の都合次第で変えられるということです。(つづく)