(139) 一世一代の決心も宗盛らしい、都落ち

                              阪本信子 会員
 木曽義仲、近江に至るとの報に足元に火のついた平家の驚き、慌てぶりは当然ですが、都中パニックになり、一寸した噂、風聞がそれを加速させます。
 伊賀、丹波、淀、宇治からは反平家勢力が迫るとの報に、作戦会議を開いても肝心の兵力が集まらず、少ない兵力ではどれだけのことができるか。しかし、京都は守らねばならない。
 なけなしの兵を各地へ配りましたが、相手の兵力があまりに多く戦う気も失せ途中で引上げたり、敵勢力集結はただの噂に過ぎなかったとか、平家は翻弄されています。
 そして、義仲が比叡山に本陣を布くと、都へ攻め入るのはもう時間の問題で、平家としては王手をかけられた状態です。
 宗盛はこの段階で都を捨てる決心をしました。
 最後まで戦うという選択をしなかったのは、宗盛の優しさかもしれません。一門の中には徹底抗戦を主張する者もいたのですが、最終的に棟梁宗盛に従ったのは九州に都を作るというのに希望を托したのでしょう。
 しかし、清盛だったらどういう選択をしたでしょうか。きっと最後の一兵までも戦えと、一族玉砕も辞さなかったでしょう。
 しかし、宗盛が都落ちの決断をしなければ、名作「平家物語」は生まれなかったのですから、無責任な言い方で申し訳ありませんが、よくぞ都落ちをしてくれたと私は思っているのです。(つづく)