(138) 捨て身戦法も役立たず

                              阪本信子 会員
 平家は出来るだけの事はやったと思いますが、落ち目の風速は止めようもなく、恥を忍んで比叡山へ支援を乞うても、かえって足元をみすかされ、憐れみを買っただけでした。
 驚いたことに、この時申し出たのは「平家の氏神厳島神社から日吉神社に変え、延暦寺をもって平家の氏寺とする」という仰天動地なもので、平家一門の名だたる面々の十名連署の悲愴感を帯びた申し出でした。
 これはいくら変わり身の早い貴族でさえ、そこまではやれない面映いもので、吉田経房の「吉記」でもこれを知って歎かわしいと書いている。
 恥も外聞もない捨て身の嘆願で、かつての平家の矜持はどこへ行ったのか、清盛が聞いたらどう思うでしょうね。
 しかし、宗教もこの時代には攻略、取引の道具として有効であったということで、この時代の信仰の胡散臭さが見えます。
 勿論、比叡山は初めから平家を支援するつもりは無く、この期に及んでは、平家の弱さを暴露したにすぎませんでした。
 上昇気流にのっている時は、どんなバカなことをしてもマイナスになることはありませんが、落ち目になると何をしても裏目に出る、現在でも社会というのはそういうものでしょう。
 この時の宗盛の捨て身の勇気を、彼がもう少し早く発揮していればと平家ファンの私は残念に思っておりますが、やっぱり手遅れかな。(つづく)